2013年12月25日水曜日

ウズベキスタン恋愛事情(2)

期末試験が終わり、冬休み到来の喜びを噛み締める私に友人が声をかけてきた。
ここ数ヶ月まともに話していなかったので、お互いに数分は近況を確かめ合っていたのだが..


「...そういえば、最近気になっている娘がいるんだよね..」


これまでとは少し声量を抑えて、少々恥ずかしそうに言った。
彼は博士後期の学生で、間も無く修了予定。
大学内で彼の評判は「仕事も勉強もよくできる男」とすこぶる良い。

... だが私知っている。
7月の段階では、彼と同じ地方出身の4年生の女子学生に恋焦がれていたことを。 (その時も軽く相談を受けた気がするが)


そのことを踏まえて、彼に事の顛末を聞くことにした。
彼が今恋焦がれているのは、またもや同じ地方出身の2年生の女子学生。
今年度から経済学のゼミを担当している彼のもとで学んでいるのだという。
では、夏に恋焦がれていた4年生の女子学生はどうしたのか、というと...


「まだきちんと返事を貰っていないから、SMSのやり取りは続けてる」


どうやら、彼は2-3人の女の子に惚れているらしく、その全員とやり取りをしている(!)らしい。
そして、とりわけ現在進行形で恋焦がれている2年生の女子学生には毎朝毎晩SMSを3-5通は送っている(!)のだという。
返事が返ってくるのは4-5日に1通だそうだが、それでも彼は「返ってこなくても、僕の送ったメッセージが既読になっただけでも嬉しい」(!) と、脳内お花畑全開。


最近は電話のみならず、SMSでのアタックも一般的?なウズベキスタン


更に、彼女は彼の実家の近所の出身で、幼い頃から彼女の家族と面識はあったのだという。
日本にいると想像できないほど親戚付き合いが頻繁なウズベキスタンでは、相手の親兄弟と親戚の人となりも、「相手選び」の重要なポイントである。


ウズベク人の間では、10代後半以降になると「付き合う = 結婚が前提」なのだ。
以前にも書いたことがあるが、ウズベク社会には
 「女性は独立しては生きていけない,結婚しなくてはならない」
 「男性は独りで生きていけない女性のためにも,結婚しなくてはならない」
 「結婚し,家庭を築くことこそが何よりも大きな幸せである」

という考えが一般的に広く浸透している。


私が軽く驚いて口をパクパクさせているところに、「ウズベキスタン恋愛事情 (2013年5月22日発)で紹介した彼がやって来た。(彼ら2人は友人である)
5月の段階で2年生の女子学生と付き合うことになった彼だが、どうも数ヶ月もしないうちにフラれてしまった(!)らしい。

その理由が、「彼女が結婚することになったから」(!)
彼女は、彼女の両親が用意した相手とお見合いし、気に入ったので結婚したのだという。
ウズベキスタンでは、やはり今でもお見合い結婚が一般的だ。
現代の都市部でのお見合い事情としては、男性の親兄弟・親戚が良い娘を見つけ、ふたりを知り合わせ、あとは任せる... というのがよくあるパターン。

そんな彼が、今回相談を持ちかけてきた彼に言う。


「年末地元帰るんだろ?彼女の分の航空券も用意して、一緒に帰ればいいじゃないか」
「もっと押せ、押していかに自分が情熱的に好きか見せつけてやれ」


ああそうか、と彼は納得したような表情だった。
ウズベキスタンでは、日本では到底信じられないような粘着質且つ激しいアタックをするのだ。
少なくとも私が知る限りでは、彼らに限らずウズベク人男性の多くがこんな感じなのだと思う。


では、そんな猛烈なアタックを受けた女性は一体どうするのだろうか?
どうやら、一般的な考えでは「情熱的なほうがいい」らしいのだ。

最近まで猛烈なアプローチを受けていた女友達は、ついに折れて彼と結婚するに至った。
その彼は彼女との結婚しか考えておらず、彼女の返事を待つ前に結婚式の準備をしていたほど。
日本であればサックリと着信拒否をするなりで無視を決め込む案件に違いないが... これが、文化の差なのだろう。


随分とスッキリした顔になった彼は、最後にこう言った。


「うまく行ったら、結婚式には絶対に呼ぶから来てくれよ!」


おいおい、まだまだ付き合ってもいない... というか、SMSの返事も滞りがちなのに!
だがここはウズベキスタン。日本の恋愛の常識は通じない。
当たり前だよ、そのときは歌うよ、と返事をした私なのであった。


そのほか、ウズベキスタンの恋愛・結婚事情についてはこちらもどうぞ
 ⇒ 「ウズベキスタン恋愛事情(1)」
 ⇒ 「ウズベキスタンの結婚観」
 ⇒ 「ウズベキスタン結婚事情」

2013年12月12日木曜日

ここがヘンだよウズベキスタン (ウズで見つけた不思議な出来事まとめ)

2013年3月12日にタシケントに来て、今日でちょうど9ヶ月。

思えば今日まで色々なものを見聞きし、本当に充実のウズベク生活を送ってきた。
日本ではありえないことが多すぎて、来たばかりの頃は「驚き疲れる」ということも。
今では驚きもなくなり、あらゆることを右から左へ受け流すことができるのだが...
ともあれ、今日は私の日常生活の中からいくつか面白いことを紹介したい。
本当にウズベキスタンはヘンなことが多い、面白い国なのである。

ちなみにウズベキスタンはここ、カザフスタンの下、ピンクで色付けられた部分である。


炭水化物に炭水化物
ウズベキスタンの主食(?)はノン(丸くてずっしりしたパン)である。
ありとあらゆる料理と共に食べるので、食事の必需品と言っても過言ではない。
そして、ウズベク料理を語るのに欠かせないのが伝統料理プロフ(油で炒めたご飯)。
もちろんプロフの時もノンは必需品である!
そう、「パンにご飯」なのだ。どっちが主食なのか分からない。
というか、炭水化物に炭水化物ではないかΣ(゚∀゚ノ)ノキャー

ちなみにこれが伝統料理のプロフとノン。

ウズベク語を話す外国人はとっても珍しい
ウズベキスタンはかつてはソ連の一部だったため、今でも街中ではロシア語が聞こえる。
特に首都タシケントでは、街中の広告や店の中の表示までロシア語が多くを占める。
ウズベク人でも実はウズベク語よりロシア語のほうがが得意だという人は、老若男女問わず決して少なくないのである。
そこで、遠く離れた日本から来た外国人がベラベラとウズベク語で話し始めると、ウズベク人は皆一瞬絶句するのだ。
そして、程なくして人だかりができて、質問攻めに合うことも...(。-∀-)


外国人は皆、ロシア語を話すと思っている
旧ソ連圏どこでも言えることだが... ウズベキスタンでもこの傾向は強い。
私も例によってロシア語で話しかけられることが多いが、ウズベク語で返すと激しく喜ばれる。
そして一緒に写真を撮ろうと言われる...(*´∀`*)
最近タシケントでは英語を話す若者も増えてきたが、やはりロシア語のほうが得意らしく。
頑張って英語で話しかけてくるのだが、ロシア語やウズベク語で返すと大変ホッとした表情で対応してくれる。


Mehmon(お客さん)とXudo xohlasa(神の思し召しあらば)は魔法の言葉
上記の単語、「メフモン」と「フド・ホフラサ」と読む。
いつもは強気のウズベク人もこの2つの語には大変弱い。
遠方からの客は丁重にもてなすのがウズベクの国民性。
例えばバザールで「私は遠くから来たメフモン(お客)だから負けてちょうだい!」
と強気に言うとかなり負けてくれる。何度も言うが、ウズベク語で言うのがポイントである。

また、ウズベク人は
「いつ結婚するのか」
「タシケントで結婚式をするのか」
「いつ子どもをウズベキスタンに連れてくるのか」
などなど、「結婚生活」に関する質問が大好きだ。
このような答えにくい質問には「フド・ホフラサ」と言えば、それ以上聞かれることはない。
むしろ、彼らは誰もが一瞬絶句する。


常に札束を持ち歩く
ウズベキスタンの通貨スムは、今のところ3000スムで1ドル程度。
最高額面は最近5000スムになったが、未だに流通はほとんどしておらず...
常にカバンの中には1000スム札の束が場所を取っている。
ちなみに物価はそこまで安いわけではなく、一度の食事で20~30枚の1000スムが飛んでゆく。
500ドルを両替すると大変なことになる。

何だかとても悪いことをしている気分になる。


舗装されているはずなのに、道は穴だらけ
首都タシケントは想像以上に舗装されている道は多いが、それでもやはり穴が多い。
道路上に突如として現れる穴を、どの車も器用に、それはそれは器用に避けていく...
時には、穴を避けるために反対車線を当然の如く走行することも。
もちろん、その時反対車線には車が走っているがお構いなしである。
そんな危ない運転をしている割には、そこまで悲惨な事故は少ない。
ある意味テクニシャンなのだろうか...?


信号が動かない
信号があっても動いていない。
そもそも信号があっても、その信号機が明後日の方向を向いていて、誰に対して信号を送っているのか分からない。
だから、車がいない時に渡る。というか、車がいても無理やり止めさせて渡る。
それがウズベク流なのである。


一応?ムスリムなのか... なんちゃってムスリムな国?
国民の80%以上がムスリムというウズベキスタンだが...
とりわけタシケントでは、若い男女が公園のベンチを占拠して抱き合ってキスをしている光景をよく見かける。
恋人同士以外でも、案外ベタベタとしている( ゚д゚ )
そして、若者は煙草をふかし、酒を飲み、豚も食べる。
女性は胸元を大きく開け、ミニスカートで颯爽と歩いている(ノ゚ο゚)ノ
何だか見ているこっちがハラハラしてしまうのはここだけの話。
それでも、やっぱり夜に女性一人で出歩いたり、婚前交渉などは当然タブーなようである。
やっぱり、ウズベキスタンはムスリムの国なのだ。


そのお金は一体どこから...??
この国の平均月収は300~500ドル程度と言われている。
地方に行くほど下がり、タシケントは例外的に月500ドル程度だとか。
給料は決して高いわけではないのに、ほとんどの若者は300ドルくらいの携帯電話を持っている。
1万ドルくらいの車も乗り回している。
一体そのお金はどこから出てくるんだろう...????


ウズベク人の挨拶は信じられないくらい長い
アッサローム・アレイキュン(こんにちは)から始まり...
元気?健康な生活してる?調子はどう?昨日ちゃんと休めた?最近退屈してない?疲れてない?ご家族は元気?お父さんお母さんは元気?病気してない?勉強は順調?生活はどう?色々上手く行ってる?
などなど.....
これをお互いに聞き合うわけだが、この質問に対する答えは求められない。
ちなみに、一方的に上記の挨拶を5分以上され、こっちは「うん、うん」と首を振るだけなのだ。
ある学生が言うには、地方によっては10分くらい続くらしい。
こんな挨拶が一方的にずーっと投げかけられるようになった私は、最近かなりウズベク化しているんだと思う。
ちなみにウズベク語の授業で一番はじめに習ったのは、この挨拶だった...(笑)


年上は敬われる
されどムスリム、やはり宗教的に年上はかなり敬われる。
私は実年齢から8ほど足した年に見られることが多いので、大学では学生たちから信じられないほど敬われる。
もちろん女性に年齢を聞くのも当然である。
自分より明らかに年上には聞かないらしいので、ちょっと複雑な気分....
ほかの学生とほとんど同じ年齢なのに(´;Д;`)


トイレットペーパーとゴミ箱は必ず左側
日本人なら右側に置きたくなるが...
やはりされどムスリムの国。汚いものには左手を使うこの国では、当然トイレットペーパーとゴミ箱は左側に設置されている。
ちなみにペーパーは流すとトイレが詰まってしまうので、使用済みの紙は流さずにゴミ箱に捨てる。
日本に来たウズベク人がまず驚くことの一つは、トイレに紙が流せる点だそうだ。


ウズベキスタンの風邪にはウズベキスタンの風邪薬
こっちで風邪をひいたときに、日本の風邪薬を使っても全く効く気配はないのに。
しぶしぶ薬局で安い風邪薬を買って飲むと、翌日にはケロリと治る。
劇薬なんじゃないかと心配になる。体にいいのだろうか...?
ちなみに、虫刺されも同様である。
日本のムヒは全然効かないのに、こっちの塗り薬を使うと一発で治る。
本当に劇薬なんじゃなかろうか...?


ウズベクの女性の挨拶は....
ウズベキスタンでは、仲のよい女性同士なら「口と口で」キスをして挨拶をすることがある。
親戚や近所、幼馴染などなど、本当に仲の良い女性同士の挨拶である。
私はまだ、頬に何度かキスされる程度だが、いつの日か.......((((;゚Д゚))))
何だか緊張してしまう。


歌い踊り狂うウズベク人たち
ウズベク人は踊りと歌が大好きな国民である。
何かにつけて踊り、歌う。それが結婚式などのお祝いの場なら誰も彼らを止める術を知らない。
そんな場所に外国人がいると、拒否権なく踊りの和に加えられてしまう。
意を決してレズギンカを踊ったりすると、多くは拍手喝采で、携帯電話で動画を撮り始める。
日本代表、頑張らねば(^_^;)



...まだまだあるのだが、あまりに長くなってしまうので今日はこれまで。
「文化の違い」と一言で片付けてしまうにはあまりに勿体ないくらいに、面白いことが多いのがこの国である。

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2013年11月26日火曜日

大統領によるタシケント渋滞事情

タシケント中心部は毎朝毎晩「大統領渋滞」なるものが発生する。
大統領の出勤退勤時に道路を閉鎖して、大統領の車列が滞りなく通行するためだ。大変名誉なことか、私は登校時刻と通学路がカリモフ大統領と同じ(!)なので、毎朝道路封鎖による激しい渋滞に巻き込まれる。


毎日のことなので、市民も慣れていて通常なら混乱は少ない。ただ、今日だけは違った。
いつもより手前から道路が封鎖され、数百メートルに及ぶ渋滞にバスが巻き込まれてしまった。
これが今日までにタシケントで経験した渋滞で最も酷いものだった。

これはひどい... 動けんがな。

バスとの隙間30cmくらいで、四方を車に取り囲まれて身動きが取れない。
周囲から聞こえる阿鼻叫喚。クラクション。パトカーのサイレン。
一瞬、この渋滞から一生抜けられないんじゃないかと錯覚を起こすほどのカオス。
バスは渋滞にはまった20分程度の間に、何度も他の車にぶつけぶつけられてしまった。


そう、昨日隣国トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領がタシケントにやって来たのだ。
どうやら今日はこれからお帰りになるらしく、いつになく警備を厳しくした上に、空港に向かうためにイレギュラーな道路封鎖をしていたらしい。
こんな風に何があるか分からないタシケント。
大学までバスで15分だが、結局授業の1時間以上前には家を出ることにしている。




ちなみに私が毎日乗る、この緑色のタシケント市バス(大)はメルセデス社製である。
運転は荒いし、椅子も強度が足りない感じがするけれど、あのベンツである。
ベンツが聞いたら怒るかもしれない。
このメルセデス市バスだが、時折こうした画像をネット上で見かける。
みんな口々に不便だ、怖いだ、混んでるだの言うけれど、愛されているようだ。
画像に書いてあるフレーズだが、一度ウズベク語の先生に同じことを言われたことがある。
彼女も私と同じようにバス通勤だが、例によって大統領渋滞に巻き込まれてしまったようだ。そこで、私に電話で一言。「待ってて、今緑のベンツで行くから」
ちなみにタシケント市バス(小)は、我らが日本のいすゞ社製である。


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2013年11月5日火曜日

多様なタシケントの食事情

ウズベキスタン――
知る人ぞ知る「食の国」である。

旧ソ連圏で食の国といえば、ウクライナ、グルジア、そしてウズベキスタンが挙げられるだろう。
我らがウズベキスタンはプロフやシャシリクをはじめ、様々な料理が有名である。
そして、ウズベク料理確かに美味しい。
だが、日本の食文化からは大きくかけ離れている。

なので、ウズベク料理を知る人たちには
「食事はどうしているの?」「大変でしょう...」
と言われることも多く...

だが、多くの人が想像する以上に私は日本的な食生活を送っている。
日本から6,000km以上離れたこの地であっても、日本でお馴染みの食材は案外安価に、且つ容易に手に入ってしまうのだ。
ウズベキスタンはウズベク料理で名を馳せる食の国というばかりではなく、食材が中々豊かなのである。
この食材の豊かさ、結構気に入っている。

ちなみに、ある日は豆腐、長ネギ、豚肉、白菜を購入。
鍋をやる気満々。

イスラーム教徒が国民の80%以上を占めるウズベキスタン。
だが、意外にも豚肉は容易に手に入る。
かつてのスターリン期に強制移住させられた朝鮮人やドイツ人などの子孫や、ソ連期に移住してきたロシア人など、未だ120以上の民族が共存するウズでは、当然様々な食文化も共存しているのだ。
とりわけタシケントには、日本と食文化の近い朝鮮人が多く暮らしており、一部地域では韓国系食材や雑貨を取り扱う商店がズラリと立ち並ぶ。
ちなみにウズベキスタンの大根はこんな「短足ちゃん」で可愛い(*´`)
人参は日本に比べると水気がなくて、切るのに一苦労...


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2013年10月18日金曜日

タシケントでインフルエンザ・ワクチンを接種してみた

本日タシケントは晴天なり。
本日タシケントはワクチン接種日和なり。


最近街中の広告に、「простуда(風邪)」だの「грипп(インフル)」という単語が目につくようになった。
確かに最近急に寒くなり、自分の回りでも咳き込む人が増えている。
とっても乾燥するウズベキスタン、風邪やインフルエンザには用心しなくては。


...と思っていたら、大使館からもインフルエンザ・ワクチン接種の案内を受けた。
思い立ったが吉日。
さっそく次の日に案内通りにワクチンを接種しに行くことに。


今回ワクチンを接種しに行くのは、「Tashkent International Medical Clinic」という私立病院。
タシケント在住の外国人向けの病院で、先生もスタッフも全員英語を話す。
そして、多くは腕のいい外国人医師。 (今日はインド人、韓国人、ドイツ人の医師がいた)
JICA駐在員をはじめ、在留邦人の多くもここにお世話になっているようである。

お世辞にも医療が進んでいるとは言えないウズベキスタンで、注射をするのは抵抗がある。
でも、このInternational Clinicなら安心できそうだ。


案内を受けた翌日、金曜朝10時。
病院に電話をしてみることに。時間や予約の有無を確かめねば。
相変わらず電話での会話にテンパる私だが、今日は久々の英語での電話とだけあって、更に緊張。病院の電話番号を押している間は、口から心臓が出るかと思った。

 ――"Hello, this is the Tashkent International Medical Clinic."

おお! 英語だ!!
流暢な英語で応答してくれた。タシケントなのに!

聞いたところによれば、
・時間は8時~17時まで
・受付は必要なし (飛び入りでOK)
・ドル払い・スム払い・VISA払いのいずれも可
とのことである。

では、早速行ってみよう。
ちなみにこのInternational Clinic、タシケント駅の裏側から更に2-3kmほど行ったところにある。
かなりわかりにくい場所で、タクシー運転手も人によっては知らない。
一番確実に行く方法は、バスである。


 東洋学大学前、シャフリサーブス通りのバス停。55番。

International Clinicのある通りを通るバスは、55番と106番だけ。
今回は、東洋学大学の前のバス停から55番に乗ることに。


タシケント駅を通り越え、駅の裏側へと続く細い通りを行くバス。
降りる場所は、地図を見る限りここのはずだ。

....ここでいいんだよね.....?! (募る不安)

International Clinicというから、かなり大きくて目立つ建物を想像したのだが...
何の変哲もない通りだ。そして目当てのものがない。
でも、地図を見る限りここであっているハズ。

結論を言えば、上の写真の右側の塀の向こう側がInternational Clinicだった。


International Clinicの正門

そう、この病院に目印はない。
強いて言えば、塀に大きく黄色い文字で「38」と書いてあることくらい。
それ以外は、何の変哲もない門と塀があるだけ。

恐れてはいけない。
これがInternational Clinicの入口なのである....。

最初からこんな感じだったので、本当に大丈夫か?! 実はInternational Clinicと言っておきながら、本当はウズベクの一般病院と変わりないんじゃないか?! と不安がよぎり始める。


門のにあるインターフォンを押すと、扉が開く

門は中々頑丈な感じだが、インターフォンを押すと暇そうな門番が開けてくれた。
そして、現れる小奇麗な建物。
そこには、上の写真のように「Welcome to the Tashkent International Medical Clinic」と看板が掲げられていたのである。

安心した...!
病院内に入ると、あちこちから聞こえてくるのは英語だけ。
患者も多くは外国人で、受付はとっても親切に英語で応対してくれる。

受付では、「インフルエンザのワクチンを接種したい」との旨を伝えるだけでよい。
あとは、姓と名を書くだけである。(領収書用)
生年月日や住所といった基本情報なども必要ない。本当に簡単だ。


ワクチン接種自体は、ものの3秒で終わる。
待ち時間を含めても、15-30分程度と考えてよい。 (往復する時間の方が長い...)


支払いはUSドル、スム、VISAカードのいずれでも可能である。
私はドルで支払ったが、きっかり30ドルであった。
日本でワクチンを接種するのとほとんど変わりない。

但し、ウズベキスタンに輸入されるワクチンの数には限りがあるようなので、病院に接種しに行く前には必ず電話で確認してから行くと、確実である。


ちなみに、市内薬局でもワクチンを購入・接種することができる。
価格は24,500スム、8ドル程度と格安である。
但し、薬局購入の場合は自分で接種(!)しなくてはならない。度胸のある方向け。
(薬剤師がいる大きな薬局であれば、その場で薬剤師に頼むこともできるという)


これからタシケントは更に乾燥し、インフルエンザも流行期に入る。
ワクチンの接種が最も確実な予防法なので、みなさんも是非受けましょう。


TASHKENT INTERNATIONAL MEDICAL CLINIC
TEL: +998(71)291-01-42
Add: 38, Sariko'l ko'chasi, Toshkent
HP: tashclinic.org/ (2013年10月18日現在閲覧不可)


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2013年10月16日水曜日

タシケントのクルバン・ハイート(犠牲祭)

昨日10月15日は「クルバン・ハイート」で、ウズベキスタンでは国民の祝日だった。
この祝日は日本では「犠牲祭」と訳されることが多いが、このように呼ばれるのにはこんな所以があるのだという。

預言者アブラハムがアッラーに「私を愛している証拠にそなたの息子を殺して私に捧げなさい」と言った。アッラーは本当に息子を殺そうとしたが、結局アブラハムはそれを止め、「お前の気持ちは分かった、息子の代わりに羊を屠って捧げなさい」と告げたという。
それ以降、ムスリムの間ではこの日が羊を犠牲として捧げる祭日となったとか。



早朝7時、多くの男性がモスクに吸い寄せられるように祈りに訪れる。


(一応)ムスリムが国民の80%以上を占めるウズベキスタン。
普段は割と閑散としているタシケントのモスクも、今日は警官がたくさん警備に当たるほど厳戒態勢。多くの男性たちが、早朝から祈りに訪れていた。
なんちゃってムスリムが多いウズベキスタンでは、1日5回お祈りをする人は多くない。この犠牲祭でのモスク参拝も、もしかすると日本の初詣のような感覚なのかもしれない。


1日5回のお祈りの時間。
きちんとお祈りをしている人は見たことがないが...


他のイスラーム諸国では早朝の祈りの後、モスクで羊が屠られるのが常だが...
タシケントでは祈りが終わると同時に、人々は家へと散っていった。
どうやらそれぞれの家庭にイマームが訪ね、自分たちで羊を絞めるようだ。
屠った羊は間も無くプロフ(中央アジアの焼き飯)などの料理に変身。女性たちは朝からご馳走をこしらえ、男性親族や友人をお互いに呼び合ってお祝いするのだとか。


午後になると、街中には解体された後の羊の毛皮などで溢れているらしい。
一頭あたりの毛皮は15000スム(500円程度)だとか。。


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2013年10月2日水曜日

聖なる古都ブハラに行ってきた

先日の「サマルカンド弾丸旅行」に引き続き、今回はブハラへ旅することにした。
例によって、愚問ながら、今回も当然弾丸旅行である。

もう部屋に引きこもってばかりの生活には引き返せない。
よって、「何のためにウズに来たの?」とは二度と言わせないとも。
それにしても、最近余ってしょうがない時間と財力に物を言わせて旅行ばかりしている...

ちなみにブハラは、一日で散歩できるほどコンパクトな街である。
一つ一つの遺跡やメドレセが近く、街中が中世イスラームの世界。まるでブハラの街全体が博物館のようだった。

そのほか、ブハラは科学者イブン・スィーナなど,イスラーム史に残る多くの知識人を輩出している。
シルクロード交易の十字路として栄えたこの街には,16世紀には宗教的充実に多くの富が注がれ,現在までほとんど変化していないのだとか...


今回の旅のプランは凄まじい。前回に増して凄まじい。



928 ()
- 20:55 タシケント発ブハラ行き夜行寝台 (06:30 ブハラ着)

929 ()
- 07:00 ブハラ市内観光

順路 (散歩):

01. リャビハウズ 02. モダリ・ハン・メドレセ 03. アブドゥーラ・ハン・メドレセ04. イスチロハット公園05. イスマイール・サーマーニ廟06. チャシュマ・アイユブ 07. バラハウズ・モスク08. デフコン・バザール09. アルク城10. カラーン・モスク & カラーン・ミナレット11. ミル・アラブ・メドレセ12. アブドゥールアジス・ハン・メドレセ13. タキ・ザルガロン14. タキ・テルパクルルシャン15. タキ・サラフォン16. ホッジャ・カズィヤン・メドレセ17. カウクシャン・メドレセ
- 17:00 ブハラ・スタジアム (ブハラFK ブニョドコール戦)
- 21:00 ブハラ空港へ
- 22:40 ブハラ発タシケント行き HY1058便 (23:40 タシケント着)

すごいでしょ,この弾丸具合 ((。-∀-)ニヤリ
でも、いくらブハラがコンパクトとはいえ、これはちょっと飛ばしすぎたかな... (反省)



それでは、早速ブハラ・バーチャル・ツアーに行ってみましょう。
前回のサマルカンドに続き、今回もちょっと真面目に解説します(^-^)/


タシケント・ブハラ間の夜行寝台列車
タシケント・ブハラ間には高速鉄道は通っていないが、夜行列車と普通列車が毎日運行している。
今回は奮発して,一等寝台車(リュクス)に席を取った。一等寝台車には簡素なベッドが二つあり,他の等級と比べるとやはり広々としている。
価格は時期によって変わるが,ドルに換算すると50ドルほど
タシケントを夜21時に出発し,ブハラには翌日の朝6時頃に到着する。



ブハラ駅に到着。朝6時半。
多くの人が乗っていたようだが,夜行列車に乗ってきた観光客はあまりいなかった。多くの乗客は,ブハラへ帰ってきた人たちという印象を受けた。
それにしてもブハラは寒い!!!!!! ((((;゚Д゚))))   タシケントに比べて確実に寒く、一部路面凍結していた。



リャビハウズ
観光は,旧市街のほぼ中心にあるリャビハウズから始めることにした。広さ46m x 36mの大きな池である。
リャビハウズに到着したのは朝7時頃。道路が一部凍結しているほど寒く,人影もほとんどない中,日本人の団体観光客に遭遇。彼らは私がタシケントで留学していると話すと,とても驚いた様子だった。
朝は人もまばらなリャビハウズだが,日中には溢れんばかりの観光客が世界中からやってくる。



リャビハウズ脇のフッジャ・ナスレッディン像
有名なイスラーム神学者であり,今もブハラの人気者。かつてはユーモアに富んだ授業をし,学生に好かれたのだという。今も昔も,ユーモアセンスのある先生が好かれるのは変わらないようだ。
一緒に写真を撮ると、雄弁になれるとか、なれないとか...



気を取り直して,旧市街北西部のイスマイール・サーマーニ廟を目指して歩くことに。
ブハラの街は清潔で,足元もタシケントとは違ってガタガタする場所は少なかった。更に,人々はとても親切で気さく。車も少ないので空気も綺麗で空の青さが信じられないほど目に染みた。
ブハラにて,タシケントへの不満が一瞬本当に爆発しそうになったのであった。
アブドゥーラ・ハン・メドレセ
見よ,この空の青さを!
イスマイール・サーマーニ廟

中央アジアに現存する最古のイスラーム建築。世界中の考古学者や建築家に注目されているのだという。
当初はほとんどが土の中に埋もれていて,1925年に発掘されるまで気づかれなかったという。

バラハウズ・モスク

アルク城の近くにある,独特のモスク。前面には綺麗な彫刻と彩色が為されたクルミの柱が並ぶ。ブハラでこうしたアイヴァンと呼ばれる建築形式が見られるのは,このバラハウズ・モスクだけである。
(上) 外側から見た全景 (下) 内側から見た柱群


アルク城

古代ブハラ発祥の地であり,中心地。7世紀から,1920年にソ連軍に攻略されるまでは,歴代のブハラ・ハーンの居城であったという。
それにしても,この空の青さに映える門の装飾!!
アルク城で撮った写真は加工したように青いが,写真は一切の加工をしていない。
カラーン・モスク & カラーン・ミナレット

ブハラのシンボルであるカラーン・ミナレットは,高さ46mもある。
このミナレットには,たくさんの伝説があるが,中でもチンギス・ハーンがその高さに思わず塔を見上げ,帽子を落としてしまったのは有名な話である。チンギスは身を屈めて帽子を拾うと,「この塔は私に頭を下げさせた立派なものなので,壊してはいけない」と言ったのだという。
カラーン・モスクは非常に大きなモスクで,約1万人の信者が礼拝を出来る広さを誇る。(約1ヘクタールほど)
現在のモスクは1514年,シャイバニ朝時代に建造されたもの。
ミル・アラブ・メドレセ

ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた,数少ないメドレセの一つ。現在も活動中である。1階には講義室や食堂,図書館などがあり,2階は寄宿舎になっている。教育年限は7年で,学生はアラビア語やコーラン,イスラーム法などを住み込みで学ぶ。
ナディール・ディバンベギ・メドレセ

1622年に建てられたメドレセ。サマルカンドの虎が描かれたシェルドル・メドレセ同様,鳳凰のモチーフがはっきりと描かれている。偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反する,珍しいデザインであり,思わず目を奪われる。
タキ

バザールには,タキと呼ばれる交差点バザールが多数存在する。外側は丸屋根の変わったデザインで,中はたくさんの専門店が密集する。現在は土産物を売る店がほとんどだが,職人が専門的な店を開いているタキもあるという。

土産物屋が立ち並ぶタキでの出来事。
まだ10代くらいの女の子に流暢な日本語で話しかけられたので,惹かれて思わず店に入った。
彼女はまだ14歳。人懐っこく,たくさんの外国語を話したので驚きだった。将来は外交官になりたいという。
そんな彼女たちになぜか気に入られ,髪の毛をウズベク風に結ってもらうことに...

遂にブハラの街で見つけた,ソヴィエト時代の水自動販売機!!! (°д°)
ソ連映画でおなじみの販売機であるが,現在は現役で動いているものは数少ないと思われる。そのうちの一つがブハラにあった。...それにしても、硬貨があまり流通していないウズベキスタンで,一体どうやって水を買うのだろう?


ブハラ・スタジアム
夕方はブハラ・スタジアムにて,ウズベキスタン国内リーグのブハラFK対ブニョドコール戦の観戦へ。
ブハラFKでは、唯一の日本人である柴村直弥選手が活躍しており,サポーターからも大変な人気である。
今回はホーム戦なので、地元の人たちがこぞって応援にやって来ていた。試合はブハラFKが激しい攻めを見せ,多くのチャンスを作ったものの,0-0と引き分け。
ブハラFKの中で最も人気のある選手の一人が柴村選手であり,彼にボールが渡るたびにサポーターからは「シバコール」が湧き上がった。
入場料は一律3000スム,日本円にすると100円ほど(!)


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2013年9月25日水曜日

蒼の都サマルカンドに行ってきた


「観光もしないで,一体何しにウズベキスタンに来たの?」

旅に出る理由は,周囲から言われたこの一言だけで充分だった。
タシケントに来てから半年,思えば観光という観光をせず...
―― 私は辞書の代わりに,地球の歩き方を片手に旅に出ることにした。


「ウズベキスタン」という地名を知らなくとも,「ヒヴァ・ブハラ・サマルカンド」は学校で習う。
そんな私も若い頃はサマルカンドは知っていたが、ウズベキスタンは知らなかった。

多くの魅力的な観光名所を抱えるウズベキスタンには,夏から秋にかけて観光客が世界中から絶えない。


そこで今回は,週末を利用してサマルカンドを1日で弾丸旅行することにした。
旅の主なプランは以下の通り。



0831 ()
- 08:00
タシケント発サマルカンド行き Afrosiyob (10:10 サマルカンド着)
- 10:30
サマルカンド市内観光 (以下1~10参照)
- 21:00
ガイドに別れを告げ,サマルカンド空港へ

09
01 ()
- 01:10
サマルカンド発タシケント行き HY1320便 (02:00 タシケント着)

すごいでしょ,この弾丸具合 ((。-∀-)ニヤリ


車両はスペイン・タルゴ社製

現在,タシケント・サマルカンド間では「アフロシヨブ」という高速鉄道が運行されている。
タシケントから,たった2時間10分でサマルカンドに行けてしまう。
アフロシヨブの座席には3つの等級があるが,今回は短い道のりなので一番下のエコノミーで行くことに。
切符の価格は片道あたり5万スム。日本円で2000円弱。


サマルカンド駅を出ると,タクシー兼ガイドの客引きが。
多くの運転手(ガイド)は,ウズベク語・タジク語・ロシア語のみを話すので,英語や日本語でのガイドが必要な場合は事前に予約しておいたほうがよい。

今回は韓国で働いていたことがあるというタクシー兼ガイドを,現地で雇うことに。
自称ソウル五輪レスリング・メダリストのゾキル、という気のいいおじさんだった。(後にネットで調べたら彼の名はなかった。笑)

タクシー兼ガイド(ロシア語orウズベク語)の相場は,1日あたり50-60ドル程度。
(注: 英語や日本語のガイドはタシケントの旅行会社を通して手配することになるので,1日100ドル以上が相場と思われる。)


以下,観光した順に写真付きで簡単に且つ真面目に解説。
弾丸旅行する際のモデル・ルートにもなるかも...?


(1) アミール・ティムール (グリ・アミール)廟 / Amir Temur (Guri Amir) Maqbarasi
ティムールとその息子たちが眠る霊廟。
蒼の都サマルカンドでも,とりわけ青さが際立つ壮大な霊廟である。



(2) ルハバッド廟 / Ruxobod Maqbarasi
グリ・アミールの目の前にある霊廟。神秘主義者シェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジ(14C)を祀ったもの。レンガがむき出しの簡素な建物で,サマルカンドの霊廟独特の青さはないが,故に青空との対比が映える。
伝統工芸の工房と土産物屋が多い。



(3) レギスタン広場 / Registon Maydoni
サマルカンドでも最も人気がある場所の一つ。
左からウルグベク・メドレセ,ティラカリ・メドレセ,シェルドル・メドレセ。
チンギス・ハン来襲以降,サマルカンドの商業の中心地となった。
2年に1度,8月下旬にレギスタン広場でSharq Taronalari(東洋の音楽)という音楽祭が開催される。
前日まで音楽祭が行われていたため,広場にはステージがそのままになっていた。

この荘厳な入場アーチは35mもある。 (シェルドル・メドレセ)



(4) 昼食 / Tushlik (レギスタン広場近く)
昼食はレギスタン広場近くの,運転手オススメのチャイハナ(茶屋)にて。
タバカはフライドチキンの中央アジア版のようなもの。サマルカンドの堅いノン(パン)によく合う。



(5) ハズラティ・ヒズル・モスク / Xazrati Hizr Masjidi
美しく彩色された,木造のテラスが印象的。
バザールとサマルカンドの街を一望できる場所にあり,お金を払えばミナレットにも登ることができる。


(6) 絨毯工場 / Samarkand-Bukhara Silk Carpets
中央アジア随一の大規模な手織り絨毯工場。
ひょんなことから,他の観光グループと共に絨毯作りの工程を見学することに。
工場長のアブドゥッラ氏が直々に,非常に堪能且つウィットの富んだ英語で解説をしてくれる。



(7) ダニエル廟 / Doniyor Pailambar Maqbarasi
イスラーム教・キリスト教・ユダヤ教共通の聖地。
紀元前4-3Cの聖人ダニエルを祀っている。
墓は18mもあるが,伝説ではダニエルの骨が100年ごとに成長するためだという。
墓の周りを願い事を唱えながら3周すると願いごとが叶う,らしい。(この日は閉まっていた)
霊廟のそばには聖水が湧いていて,常に人でいっぱいだ。



(8) ウルグベク天文台跡 / Ulug'bek Rasadxonasi
サマルカンドが生み出した天才,ミルゾ・ウルグベク(1394-1449)の天文台跡地。
現在は天文台の基礎と六分儀の地下部分の一部が残るのみ。
ここでの観測をもとに,ウルグベクは1年間を365日6時間9分9.6秒と推測した。



(9) シャーヒズィンダ廟群 / Shoxijinda Ansambli
ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に立ち並び,常に巡礼に訪れる人々が絶えない。
入口の門をくぐると,すぐ先に階段がある。
この階段を数えながら昇り,その数が行きも帰りも同じだと天国に行けるという。



(10) サマルカンド空港 / Samarqand Aeroporti
帰りは飛行機で。鉄道で2時間かかった道のりは,飛行機だとたったの40分程度。
料金は50ドル程度。ウズベキスタン航空オフィスまで買いに行くより,インターネットの格安航空券サイトを通して買ったほうが簡単で時間がかからない。



サマルカンドの主な観光地では,旅行者料金・現地人料金(学生含む)が存在する。
旅行者は前者に従うべきだが,ウズベキスタンに留学中の学生は交渉次第で現地人料金になる。
もし身分証などを忘れた場合は,レギストラーツィアを見せながら,ウズベク語を使って身分の説明をするとすんなりといく。ちなみにウズベキスタン駐在の外交官とガイドも料金が安くなる。


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