2013年4月13日土曜日

1ヶ月で気が付いたこと: 友だちとの付き合い方

2013年3月12日,
あれから今日で1ヶ月が経つ。

タシケントに暮らし,今日でちょうど1ヶ月だ。
この1ヶ月,本当に1ヶ月だったのか疑いたくなるくらい短かった。
ただ,思い返すと毎日が充実していて,「思い出」の数は1ヶ月分以上かもしれない。



寮で仲良くなった友だちとは夜な夜なプロフ・パーティ


ウズベキスタンに来て,私の考え方や生き方は大きく変わった。
日本にいるときよりも大らかになり,心には常に余裕を持てるようになった。
人との付き合い方も変わった。常にフレンドリーに,親密に付き合いながらも常に敬意を持ってするようになった。


今思えば,日本では私は忙しいあまり,他のこと,他者に目をむける余裕がなかったのかもしれない。
心に余裕がなかったのかもしれない。



また,日本には「友だち」と呼ぶ人はたくさんいるが,多くは表面的にその人のことを知っているだけだ。
それが日本人の「友だち」との付き合い方とも思える。
公私を使い分け,他者のプライベートにはあまり踏み込まないようにする。あるいは,プライベートにはあまり踏み込まれないようにする。
それも一種の友だちとの付き合い方だ。だが,何だか寂しい気もする。



ウズベキスタンには,心から信頼し,尊敬し,公私関係なく仲良くしている友だちがいる。
ウズベキスタンでの「友だち」という言葉の捉え方は,もしかすると日本のそれとはまた異なるものかもしれない。
色々な問題が発生するこの国,「友だち」は常に支え合うものだ,と人々は考えているのかもしれない。
私が大学の学生寮という,いわゆる特殊な環境に暮らしているのもあるかもしれないが,常に友だちとは「助け・助けられ」という日々だ。


ただ単に私がどちらかと言えば深い人付き合いを日本でしてこなかったのもあるかもしれないが,ウズベキスタンで出会った友だちとの付き合いは新鮮である。
こっちでは人と仲良くなると,電話番号を交換して「何かあったらいつでも連絡して」と言う。
(ウズベキスタンは国民ほぼ全員が携帯電話を持っていて,みんな何かあるとすぐに電話する。日本人には想像できないほど電話をよくする。)



日本だとアドレスや番号を交換して「いつでも連絡してね」と言っても,それはあくまで言葉の上だけで,実際に「いつでも」連絡できるわけではない。
ただ,ウズベキスタンでは「いつでも」いうのは本当に「いつでも」なのだ。
困ったことがあるとき,何かニュースがあるとき,単に暇なとき,純粋にその人と何でもいいから話したいとき。
どんなときでも電話をし,話すなり,そのあと会う約束をするなりする。
ウズベキスタンでの「人と人との距離」は日本のそれよりも遙かに狭い。



私はそこに,むしろ心地よさを感じている。
今日もまた,誰かに電話をするか,あるいは誰かから電話が来るかで,これから勉強するなりご飯を食べたりするのだろう。



ともあれ,この地で私が一人ぼっちになることは,まず無いに等しい今日この頃である。



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