2013年10月2日水曜日

聖なる古都ブハラに行ってきた

先日の「サマルカンド弾丸旅行」に引き続き、今回はブハラへ旅することにした。
例によって、愚問ながら、今回も当然弾丸旅行である。

もう部屋に引きこもってばかりの生活には引き返せない。
よって、「何のためにウズに来たの?」とは二度と言わせないとも。
それにしても、最近余ってしょうがない時間と財力に物を言わせて旅行ばかりしている...

ちなみにブハラは、一日で散歩できるほどコンパクトな街である。
一つ一つの遺跡やメドレセが近く、街中が中世イスラームの世界。まるでブハラの街全体が博物館のようだった。

そのほか、ブハラは科学者イブン・スィーナなど,イスラーム史に残る多くの知識人を輩出している。
シルクロード交易の十字路として栄えたこの街には,16世紀には宗教的充実に多くの富が注がれ,現在までほとんど変化していないのだとか...


今回の旅のプランは凄まじい。前回に増して凄まじい。



928 ()
- 20:55 タシケント発ブハラ行き夜行寝台 (06:30 ブハラ着)

929 ()
- 07:00 ブハラ市内観光

順路 (散歩):

01. リャビハウズ 02. モダリ・ハン・メドレセ 03. アブドゥーラ・ハン・メドレセ04. イスチロハット公園05. イスマイール・サーマーニ廟06. チャシュマ・アイユブ 07. バラハウズ・モスク08. デフコン・バザール09. アルク城10. カラーン・モスク & カラーン・ミナレット11. ミル・アラブ・メドレセ12. アブドゥールアジス・ハン・メドレセ13. タキ・ザルガロン14. タキ・テルパクルルシャン15. タキ・サラフォン16. ホッジャ・カズィヤン・メドレセ17. カウクシャン・メドレセ
- 17:00 ブハラ・スタジアム (ブハラFK ブニョドコール戦)
- 21:00 ブハラ空港へ
- 22:40 ブハラ発タシケント行き HY1058便 (23:40 タシケント着)

すごいでしょ,この弾丸具合 ((。-∀-)ニヤリ
でも、いくらブハラがコンパクトとはいえ、これはちょっと飛ばしすぎたかな... (反省)



それでは、早速ブハラ・バーチャル・ツアーに行ってみましょう。
前回のサマルカンドに続き、今回もちょっと真面目に解説します(^-^)/


タシケント・ブハラ間の夜行寝台列車
タシケント・ブハラ間には高速鉄道は通っていないが、夜行列車と普通列車が毎日運行している。
今回は奮発して,一等寝台車(リュクス)に席を取った。一等寝台車には簡素なベッドが二つあり,他の等級と比べるとやはり広々としている。
価格は時期によって変わるが,ドルに換算すると50ドルほど
タシケントを夜21時に出発し,ブハラには翌日の朝6時頃に到着する。



ブハラ駅に到着。朝6時半。
多くの人が乗っていたようだが,夜行列車に乗ってきた観光客はあまりいなかった。多くの乗客は,ブハラへ帰ってきた人たちという印象を受けた。
それにしてもブハラは寒い!!!!!! ((((;゚Д゚))))   タシケントに比べて確実に寒く、一部路面凍結していた。



リャビハウズ
観光は,旧市街のほぼ中心にあるリャビハウズから始めることにした。広さ46m x 36mの大きな池である。
リャビハウズに到着したのは朝7時頃。道路が一部凍結しているほど寒く,人影もほとんどない中,日本人の団体観光客に遭遇。彼らは私がタシケントで留学していると話すと,とても驚いた様子だった。
朝は人もまばらなリャビハウズだが,日中には溢れんばかりの観光客が世界中からやってくる。



リャビハウズ脇のフッジャ・ナスレッディン像
有名なイスラーム神学者であり,今もブハラの人気者。かつてはユーモアに富んだ授業をし,学生に好かれたのだという。今も昔も,ユーモアセンスのある先生が好かれるのは変わらないようだ。
一緒に写真を撮ると、雄弁になれるとか、なれないとか...



気を取り直して,旧市街北西部のイスマイール・サーマーニ廟を目指して歩くことに。
ブハラの街は清潔で,足元もタシケントとは違ってガタガタする場所は少なかった。更に,人々はとても親切で気さく。車も少ないので空気も綺麗で空の青さが信じられないほど目に染みた。
ブハラにて,タシケントへの不満が一瞬本当に爆発しそうになったのであった。
アブドゥーラ・ハン・メドレセ
見よ,この空の青さを!
イスマイール・サーマーニ廟

中央アジアに現存する最古のイスラーム建築。世界中の考古学者や建築家に注目されているのだという。
当初はほとんどが土の中に埋もれていて,1925年に発掘されるまで気づかれなかったという。

バラハウズ・モスク

アルク城の近くにある,独特のモスク。前面には綺麗な彫刻と彩色が為されたクルミの柱が並ぶ。ブハラでこうしたアイヴァンと呼ばれる建築形式が見られるのは,このバラハウズ・モスクだけである。
(上) 外側から見た全景 (下) 内側から見た柱群


アルク城

古代ブハラ発祥の地であり,中心地。7世紀から,1920年にソ連軍に攻略されるまでは,歴代のブハラ・ハーンの居城であったという。
それにしても,この空の青さに映える門の装飾!!
アルク城で撮った写真は加工したように青いが,写真は一切の加工をしていない。
カラーン・モスク & カラーン・ミナレット

ブハラのシンボルであるカラーン・ミナレットは,高さ46mもある。
このミナレットには,たくさんの伝説があるが,中でもチンギス・ハーンがその高さに思わず塔を見上げ,帽子を落としてしまったのは有名な話である。チンギスは身を屈めて帽子を拾うと,「この塔は私に頭を下げさせた立派なものなので,壊してはいけない」と言ったのだという。
カラーン・モスクは非常に大きなモスクで,約1万人の信者が礼拝を出来る広さを誇る。(約1ヘクタールほど)
現在のモスクは1514年,シャイバニ朝時代に建造されたもの。
ミル・アラブ・メドレセ

ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた,数少ないメドレセの一つ。現在も活動中である。1階には講義室や食堂,図書館などがあり,2階は寄宿舎になっている。教育年限は7年で,学生はアラビア語やコーラン,イスラーム法などを住み込みで学ぶ。
ナディール・ディバンベギ・メドレセ

1622年に建てられたメドレセ。サマルカンドの虎が描かれたシェルドル・メドレセ同様,鳳凰のモチーフがはっきりと描かれている。偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反する,珍しいデザインであり,思わず目を奪われる。
タキ

バザールには,タキと呼ばれる交差点バザールが多数存在する。外側は丸屋根の変わったデザインで,中はたくさんの専門店が密集する。現在は土産物を売る店がほとんどだが,職人が専門的な店を開いているタキもあるという。

土産物屋が立ち並ぶタキでの出来事。
まだ10代くらいの女の子に流暢な日本語で話しかけられたので,惹かれて思わず店に入った。
彼女はまだ14歳。人懐っこく,たくさんの外国語を話したので驚きだった。将来は外交官になりたいという。
そんな彼女たちになぜか気に入られ,髪の毛をウズベク風に結ってもらうことに...

遂にブハラの街で見つけた,ソヴィエト時代の水自動販売機!!! (°д°)
ソ連映画でおなじみの販売機であるが,現在は現役で動いているものは数少ないと思われる。そのうちの一つがブハラにあった。...それにしても、硬貨があまり流通していないウズベキスタンで,一体どうやって水を買うのだろう?


ブハラ・スタジアム
夕方はブハラ・スタジアムにて,ウズベキスタン国内リーグのブハラFK対ブニョドコール戦の観戦へ。
ブハラFKでは、唯一の日本人である柴村直弥選手が活躍しており,サポーターからも大変な人気である。
今回はホーム戦なので、地元の人たちがこぞって応援にやって来ていた。試合はブハラFKが激しい攻めを見せ,多くのチャンスを作ったものの,0-0と引き分け。
ブハラFKの中で最も人気のある選手の一人が柴村選手であり,彼にボールが渡るたびにサポーターからは「シバコール」が湧き上がった。
入場料は一律3000スム,日本円にすると100円ほど(!)


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