2014年2月28日金曜日

ウズベキスタンでの生活が、間もなく終わる。

帰国まであと2日。

今日はついに世界経済外交大学に登校する最後の日だった。授業は火曜日に全て終えたが、今日は「成績証明書」を受け取りに行く、とても大切な日。
そして、お世話になった先生方や職員さんの一人ひとりに挨拶をする、最後の機会だった。この一年で、いちばん握手とハグをした日だったと思う。あっけなく始まった留学生活は、あっけなく終わりを迎えた。

今日も結局、最後の最後まで、来月の日本語弁論大会に出場する学生の原稿のチェックをしていた。私は残念ながら弁論は聴きに行けないが、うまくいくことばかり願ってやまない。(まるで母親の心境だ)

世界経済外交大学への最終登校日。成績証明書とともに。
もう留学期間中にこの大学の門をくぐることはない。ああ・・・


思えばこの一年、大学では本当に色々なことがあったな。
挨拶さえままならなかったあの頃。どうやってコミュニケーション取ったんだっけ。そんな青い頃もあった。苦労して習得した言語力や適応力は、私の財産であり武器となった。

留学生の私が「国語(ウズベク語)」の授業に出たり、ロシア語で日本国憲法について長々とプレゼンしたり。気付けば優秀学生賞を取ったり。はたまた、寮から引っ越したり、色々な書類が中々出なくて、ハキマ先生が国際課まで怒鳴り込みにいってくれたり。なぜか「ドイツ語の日」に、ドイツ語で歌を歌うことになったり。
ウズベク語の授業のあとには、ソラ先生とお茶を飲んで数時間話し込むのがとても大好きだった。大学の学食のサムサは絶品で、タシケントで学食を超えるサムサとは巡り会えないと本気で思っている。

ウズベク語の先生たちと。

ウズベク語の最後の授業の日に撮影。私は一般学生の「国語」の授業に混ざって受講したので、特別な試験があるわけでも、何か催しをするでもなく。思えば1年前、私は本当に「こんにちは、元気ですか」という、教科書の一番最初のページにあるようなウズベク語さえよく知らなかった。それが、まさか一般学生の国語に参加するレベルになるとは、当時の私も先生も全く予想だにせず。情熱を持って教えてくださった先生方のおかげだ。


嗚呼、ウズでの学生生活が終わってしまった。
もう二度と戻らない楽しい生活が、ついに過ぎ去ってしまった。まだまだ終わった実感はないが、証明書の類を見ると「終わったのか...」と表面上は思えてきた。とても不思議な感じだ。また来週も何食わぬ顔で大学に行ってしまいそう。


いろいろあったな、この一年。
まだまだ言葉にはならない気持ちでいっぱいだが、少しずつまとめていきたいと思う。ともあれ、今は「来てよかった」の一言だけははっきり言える。


留学を決断したかつての自分、後押ししてくださった先輩や先生、あたかも近所に行く感覚で送り出してくれた両親。一年前の私自身と私の周囲の人々に、本当に感謝している。
外交大学の学友と先生に今後とも、栄光あれ。

お世話になった日本語の先生たちと。

特に、ウズに来た当初はウズベク語もロシア語も怪しかった私を、一番助けてくれたのは写真の左側、ハキマ先生だった。母国語で通じ合えることのありがたいことと言ったら。
それだけでなく、各種書類を用意するのも彼女がいつも親身になって助けてくれた。本当に心強い味方だった。
後々には先生方のアシスタントとして日本語を学ぶ学生たちと触れ合うこともあり、色々と気付かされることが多かった。言語習得の難しさを全身で知った。


思えば、この地で過ごした12ヶ月は数々の出会いの連続だった。
出会いに支えられた12ヶ月だったとも言うべきか。自分の今後の人生を大きく変えた出会い、今後もう二度と会うことのないだろう旅先での出会い ― 出会った人すべてについて書くと、1冊の立派な本になりそうなくらいだ。

出会いがなければ私は今こうして「充実の生活だった」と言い切ることはないだろうし、あらゆる目標を達成することもなかっただろう。この1年間、たくさんの人と出会い、語り合い、色々な視点からあらゆる物事を見つめることもあった。そうして得るものは多かった。ウズベキスタンにいたからこそ出会えた素敵な人たちも多く、極論を言えば彼らと出会うためにここに来たのかも、とも今思う。

素晴らしい出会いと素敵な友人に満ち溢れた、355日間のウズベキスタン生活も間も無く終わろうとしている。明日、私は時には本当に帰ってしまおうと思い、でも今は帰りたくないと切実に思う日本に帰る。

ベタな言い方しかできないが、私のウズベキスタン生活に大きな彩りと意味を与えてくれた、全ての出会いに感謝したい。そして、この地での生活を決意し、最後には自信を持ってウズベキスタンを離れようとする私自身にも感謝したい。



この12ヶ月は、何物にも代えられない、
我が人生の中でも光り輝く12ヶ月であったよ。


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2014年2月27日木曜日

ウズベキスタンで抜け毛に泣き、育毛するの巻

忘れもしない、2013年9月。
それはウズに来て半年のことだった。

やたらと髪の毛が抜け落ちはじめ、とうとう
 「....なんか髪の毛減った?」
 「....なんか生え際薄くなった?」
とあちこちで言われるようになったときのショックを、私は少なくとも今後3年は忘れないだろう。
ブラッシングをするたびに物凄い量の毛束が落ちるのには気がついてはいたが、知らんぷりをしていただけに。

髪の毛が抜けるようになった原因はいくつか考えられる。
 ・ストレス
 ・ (ウズの水道水は水質が良くない)
 ・脂の摂り過ぎ (ウズベク料理は脂のオンパレード)
 ・環境 (とにかく乾燥している)

以上の2点がおそらく根本的な原因だが、ウズに暮らしている以上避けては通れないもの。
そこで、私はヘアケアに力を入れることにした。

ウズの人気歌手Shahzodaだってこの通り、綺麗で豊かな黒髪。
彼女は典型的なウズベク美人だと思う。


まずは、豊かな髪の毛を持つ友人らに色々なアドバイスをもらってみることに。
ちなみにウズベキスタンでは、美女の条件のひとつに「豊かで長く、美しい黒髪」が挙げられる。
街中を歩けば、腰まで伸ばした美人をたくさん見ることができる。

友人らはこぞって
「それは髪の毛を洗いすぎているんだよ、2-3日に1回洗えば十分」と言う。
確かにウズベキスタンは乾燥しているので、ジメジメした日本にいる時ほどニオイを気にしなくてもいい。

以降、私は2-3日に1度だけ髪を洗うことにした。
シャンプーも節約できるし、時間も手間も省けるので一石二鳥。
腰くらいまで長いと、洗髪も大仕事である。
最初は抵抗があったが、乾燥しているのもあってかニオイは確かに気にならず。

それから、シャンプー・コンディショナーは友人らオススメの「Syoss」を使うことに。
これは日本でも手に入るが、ウズのほうがロシアから輸入しているだけあって種類は多い。
いくつかの種類を試してみたが、とくに違いは見いだせず。
とりあえず、Syossは洗い上がりと香りが中々よかった。

ロシア製のSYOSSは日本と違ってたくさん種類がある


そのほか、日本製の育毛剤(生え際用)に加えて、インド製のヘアオイルも導入。
こちらは髪の毛を洗う3時間前ほどに髪全体に染み込ませ、シャンプーをするときに洗い流した。
そのほか、髪の毛がパサつくときに馴染ませたり。

Dabur社製「AMLA」 (中東諸国向け)
このパッケージには中々インパクトがあると思う。


インド・Dabur社製の「AMLA」というヘアオイルだったが、中々ニオイが強烈。
好き嫌いが真っ二つに分かれそうだが、中々効果は抜群。
日本でもネット通販で買えるようだ。(割高だけど)

どうやら「アムラ」という果実を使用しているらしい。
このヘアオイルはニオイが強いので、「アムラ」を含む他のヘアオイルを試してみる価値はあるかもしれない。


さあ、ここまでいくつかの簡単なことをやってきて半年。
奇しくも髪の毛が抜けた期間と同じ半年。

とりあえずAMLAと一緒に記念撮影。育毛成功! (*´∀`*)


どうだろう、少なくとも生え際に関してはそこまで目立たないと思われる。
毛量に関しては、三つ編みを解いたあとなのでウェーブがかかっているが、「豊かな髪」には見える。

..........育毛成功! (...ということにしておきたい)


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ウズベキスタンの結婚観

「私、もう少ししたら結婚するの」


晴れやかな表情で言った彼女は、当時18歳の大学1年生。
まだまだ顔にはあどけなさの残るその表情は、日本の高校生と変わりない。
あれから半年が経つが、彼女は大学を休みがちになった。
今や、ふくよかだった彼女の頬は前に比べると痩け、おしゃれに抜かりのなかった髪型もシンプルだ。
そして彼女は時おりため息混じりに言う。


「結婚なんてしなきゃよかった」


そう言った彼女の顔には、嗄れたあどけなさが残るだけだった。
一気に10歳くらい老け込んでしまったかのよう。

タシケント市内での結婚式の様子

ウズベクの人々はとても早婚だ。
女性なら17~23歳、男性は20~25歳くらいには結婚してしまう。
上の彼女のように、学生のうちに結婚してしまう事例も決して少なくない。
そこにはウズベクの宗教・文化的な背景が見え隠れする。
この国の文化では「結婚生活」が人生そのもの、のような位置付けにある。
子孫を育むことこそが幸せであり、義務であり。――なので「結婚」はとても重要視されている。


そして、子どもの結婚に関する決定権を持つのは両親(主に父親)である。
娘が17歳~23歳、息子が20~25歳に達すると、結婚相手を探し始めるという。
結婚相手を探すのは、主に息子の母親の仕事だ。
息子に最も合う女性を探すために、この「花嫁探し」には親戚や隣人なども参加する。
少しでも興味の湧く女性が見つかれば、ソウチと呼ばれる仲人を女性の家に送るという。
そこで女性の家族や生活状況などをじっくりと観察し、合うと判断すれば結婚の話を持ちかけるとか。
結婚話を持ちかけられた女性は、ほとんどの場合承諾するのだという。


これに関しては私の友人がこう述べている。


 突然両親に呼ばれて、男性の写真を見せられるなり
 「この人と結婚しなさい」と言うの。
 少しでも返事を躊躇うものなら、断ったら次にいつ縁談が来るか分からないでしょう、と。
 そうして心理的に圧力をかけられて、最終的には結婚に承諾せざるを得ないのよ。
 そうして私の親友のほとんどは結婚していったけれど.....
 本当の幸せってなんなのかしらね。

 海外で色々ことを経験したからか、早くに結婚するだけじゃない、と私は思うのだけど。


と。彼女自身は縁談を断ったことがあるのだという。
彼女は留学経験もあり、修士号まで取った才女だ。
ウズベク社会の中でもかなりリベラルな家庭で育った彼女だが、既に20代半ば。
既に「行き遅れを通り越しておばあちゃん」と呼ばれ始めた彼女は、周囲からの結婚へのプレッシャーも日に日に増しているようだ、という。
それでも彼女の両親は、彼女の意見を尊重して何も言わない。
のちのち、「早く嫁に出さないと... 本当は心配よ」と彼女の母親がこっそり教えてくれたが。


今でこそ、少しずつ彼女のような存在も増え始めてはいる。
最近では、知識層を中心に早婚が少しずつ問題視されはじめてきたようにも感じられる。
(それでも「親の決めた相手と、早くに結婚する」のが大多数だが)

花嫁衣装を着る娘

私自身は地方出身なので、早婚に対してそれほどの問題意識もなかった。
だが、早くして結婚したという私の先生の話を聞いて納得した。


例えば10代で結婚すると、まだ学生だったりするため収入が十分でないことが多い。
結局、結婚後も義両親と同居して、経済的には依存しないと生活できない。
そうこうしているうちに子どもができ、一世帯の人数が増えても収入はそれほど増えないので、家計は火の車。
早くに結婚したために、生活レベルを落とすことを余儀なくされることも珍しくないという。

先生は、「もっとロシア人たちのように自由にできればあんな苦労をしなくてもよかったのに」と、最後に付け加えた。


ちなみに、両親が男女関係に厳しいのは大体タジク人やウズベク人の家庭なのだとか。
確かに、ロシア人や朝鮮人などの他民族は、割とそういうことに関してはオープンな印象を受ける。

タジク人やウズベク人は、昔の日本人に近い価値観を持っているように感じる。
多民族国家ウズベキスタン。
もしかすると結婚観もどんどん変わっていくのかもしれない。
民族でやんわりと住み分けがされているこの国だが、「早婚」に対する意見からも見えるように、他民族の生活を垣間見たり、自分の体験を通して、人々の認識はどんどん変わってきた兆しは見える。



結婚なんてしなきゃよかった、といった彼女は言う。
「若いうちに、もうちょっと自分の足で外を見に行きたかった」と。


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そのほか、ウズベキスタンの恋愛事情についてはこちらもどうぞ。

2014年2月26日水曜日

帰国を4日後に控えて

4日後には、長らく暮らしたタシケントともお別れだ。

2013年3月12日にこの地に来てから約1年。
355日の留学生活が間もなく幕を閉じようとしている。

日没は18時過ぎになった

つい少し前までは極寒の日々が続き、日没は早く。
薄暗い冬がずっと続くかのような感覚に陥るほどだった。
ところが春は足元の小さなところから少しずつ芽吹き始めた。
日没も気が付けば18時過ぎ。
私がタシケントにやって来たときと、ほとんど同じくらいに日が沈む。

遂に季節が一周してしまったようだ。

春の足音が聞こえてくるよう


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2014年2月19日水曜日

運命は突然に?電話に要注意


「―――で、あんた誰?」


ウズではとにかく間違い電話が多い上に、ぶっきらぼうな話し方をする人がとにかく多い。
電話に出るなり、かけてきたくせに「あんた誰?」と聞いてくる確率の高さったら、それはもう。
間違い電話だ、と告げても5分もせずに再びかけてくることも珍しくない。
多い時で1日5回は間違い電話があるが、こんな対応をされてはストレスが溜まる。
小さなイライラを重ねるのは精神衛生上よろしくない。


不快な思いはしたくないので、普段は知らない電話番号には一切出ないようにしている。
ところが帰国10日前となった今、友人からのSMSや電話も普段に増して多く。
知らない電話番号にも出ることにした。

(......が、どうやらこれは誤った判断だったようなので、やはり出ないことにした。)


ウズは携帯電話大国で、あちこちで電話する人を見かける。
国民の数以上に電話が普及しているのではなかろうか....?

便利な携帯電話だが、時に面倒事になることもある。


つい数分前のこと。
電話がかかってきたが、知らない男の声だったので私は上記のように「あんた誰?」と聞いた。
半ば現地化、よく言えば自衛策として、ウズの人たちがやるようにドスの聞いた大きな声で言う。

「○○だけど、そっちに●●いないか」

今回はきちんと名乗ったし、相手もハッキリしている。
割と常識のありそうな 電話主でよかった、と思いながら私はこの1年ですっかり言い慣れたお決まりのフレーズを言う。


「いませんよ、間違ったところにかけていますので番号を確認してください」


そして、それでは、と言って切ろうとした...
したのだが、「ああちょっと待って」という相手の声が。そして奴は続ける。


「お嬢さんは未婚かね?これも運命だ、ウチの息子が―――」
「既婚ですそれでは」


そう、会ったこともない女性に運命をほざき、結婚話を持ちかける――。
間違い電話の20~30回に1回くらいの確率で遭遇する。
私は容姿はイマイチだが、声に関しては結構褒められることも多い。
もしかすると私の声だけ聞いて、運命を感じてしまう残念な人が結構いるのかもしれない。

何はともあれ、面倒事はごめんだ。
低い声で既婚だと告げ、ガチャ切りしたら電話はかかってこなかった。
よかったよかった。


そういえば。
半年ほど前にも、間違い電話を受けて素直に相手の話を聞いていたら、「運命」だとか何とか言って、求婚のためにずっと電話をかけ続けられたことがある。
1日100回以上も着信があり(!)、気持ち悪くなって携帯電話の電源を切ったほど。
1週間以上もそんな状態が続いた(!)ので、最終的には着信拒否をした。
私の携帯電話には着信拒否機能がないので、わざわざ携帯会社のオフィスに行かねばならないのが面倒だった。


最近はスマートフォンも徐々に普及し始めているが、まだまだ旧式のものも多い。
もし海外での携帯電話購入を考えるのなら、着信拒否機能の有無はきちんと見ておいたほうがよいだろう、と私は常々思う。


そして、再び携帯電話の着信音が鳴らないように設定した、
帰国10日前の午後であった――。


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2014年2月17日月曜日

筆者の帰国と、ブログの今後について

突然のお知らせではありますが、
当ブログの筆者は3月初旬に留学期間を終え、日本に本帰国いたします。

ただ、当ブログは今後も更新を続けていくつもりです。
今後は以下のようなテーマを主に取り扱っていく予定です。

 ・ウズベク語講座 (簡単な会話 ~ 初級文法解説)
 ・ウズベキスタン観光情報
 ・ウズベキスタンのニュース解説
 ・ウズベキスタン留学情報
 ・引き続き、読者の皆さまの疑問の解決

そのほか、読者の皆さまからのご希望があれば逐次お応えしていこうと思っております。
今後とも、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。


さて、1年とは長いようで本当に短く、帰国が2週間後に迫った今も実感がありません。
土砂降りの雨の中、タシケント空港に降り立ったのがまるで昨日のことのよう。


帰国を2週間後に控え、やっと今日パッキングをしようと思ったわけですが。
思った以上に蔵書が増えていたことに気付き、一体どうやって日本に持って帰ろうか試行錯誤しているところです。
郵便も一定の信頼は置けますが、やはりタシケントの古本屋を回って集めた大切な本。
もう二度と手に入らないかもしれない、と思うと郵送は躊躇われるところ。

30冊余の書物を手荷物と預け荷物に滑り込ませられるか否か


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2014年2月14日金曜日

タシケント生活1年間で一生分のバス事故に巻き込まれる

資料収集のための古本屋街巡りのあと、愛してやまないタシケント市バスで大学まで向かう途中のこと。
最後部座席で太いおばさん2人に挟まれながらウトウトしていたら、お尻が浮かんで首が前後に振られるほどの衝撃が。


今年4度目となる、市バス乗車中の事故に遭遇したのだった

何だ何だと、定員オーバーとしか思えないほどの乗客たちの渦に巻き込まれバスを降りると...
バスの後部はひどくひしゃげていて、衝突してきたセダンは廃車決定と言わざるを得ない有様を目の当たりにした。
バスも修理に相当かかるに違いない。


タシケント市バス。ぶつかったのはISUZUの小型バスだったが。 (画像出典: news.uzreport.uz)


これだけの事故だったにかかわらず、乗客たちは「首痛い」と口々に言うばかりで、次々とやって来る別のバスで方々に散っていく。
さも慣れているという感じだが、日本だったらこうはいかないだろう。
そんなことを漠然と考えて、何となくバス停の前で佇むばかりだった。
学まで300m、歩こうと決めた頃には警察と救急車がやって来ていて、怪我を負いながらも大声で喚き散らすセダンの運転手をまさに「回収」していったのだった。

バス料金800スムを払いそびれたことに小さな罪悪感を覚えたが、何となくムチウチな感じで痛む首をさすると、次第に罪悪感も消えていった。


それにしても、この1年間で4回もバス事故に遭うとはツイていない
(それかタシケント市民の運転が悪いのか)
1年分どころか、一生分、ないし一生分以上のバス事故に遭っている気がしてならない。


ちなみに、冒頭にも書いたとおり、バスの事故に遭遇したのはこれが初めてではない。
巻き込まれたのは4回、遠くから目撃したのは覚えていないが5-6回。
かつて、自身のFacebook(半ば日記と化している)に以下のような書き込みをしたことを思い出した。
前半は巻き込まれたとき、後半は目撃したときのものだ。



2013年8月30日

お昼頃、市内バスに乗っていたら、突然バスが別の市内バスに激突した。

幸い激突したのは、バスの正面から突き出た鏡の部分だったのだが、大きなバス同士がある程度のスピードで、派手にぶつかり合ったので、衝撃は凄まじかった。
運が悪く、少し開いた窓の隙間から、私(と周囲のおばさんたち)の膝の上に鏡の破片がたくさん降ってきた。運が良かったのは、誰も怪我はなく、鏡本体も変なところに引っかかってバス車内に入ってこなかったこと。

数分に感じられた数秒の間のあとに、運転手が「バカ野郎!」と、相手のバスの運転手に怒鳴った。それと同時に、私とおばさんも立ち上がって「バカ野郎!」と叫んでいた。

その後、振替のバスが来るとのことだったが、降りるバス停からは数百メートルのところでの事故だったので結局歩いた。
今日は涼しかったので散歩日和だ、と言い聞かせてルンルンと歩いた。そのあと運転手同士でかなり揉めていたようだけど、知らない。

ウズベキスタンのバスの運転は驚く程に荒い。とにかく荒い。
朝のラッシュ時には他の一般車両が飛ばす中、バス同士でカー・チェイスならぬ、「バス・チェイス」をするのだ。
しかも、走行中はクラクションを容赦なく鳴らしまくり、何か癪に触れば信号待ちで運転席から相手のバスに大声で罵声を浴びせる。

更に良くないのは、タシケントの道は穴だらけで、安全走行したとしてもボコボコするのだ。バスに乗るたびにお尻がムチウチになりそう。(もちろん全てのバスがこんな酷い運行をするわけではないが。)





2013年9月4日

今日も例によって優雅に木陰のベンチで読書をしていたら...
目の前で突然市内バス2台が衝突事故を起こした。そこに乗用車1台も巻き込んで、すぐに目の前では罵詈雑言が飛び交う、罵り合いのオンパレード。
  やがて警察官がやって来たのはいいが、何を思ったのか、乗用車の女性に切符を切ろうとしたか(?)で、今度は彼女と警察官が今にも殴り合いを始めそうな大喧嘩に。

その回りではバスの運転手同士が大声で罵り合い続行中。遠目から見ているのは飽きなかったが、あそこに巻き込まれなくてよかった...



だが、便利で安い上に、乗り合わせたおばさんたちとの世間話が面白いので、ついつい乗ってしまう市内バス。
もう少し市民の運転マナーが良くなれば、安心して乗れるのだが....
果たしてそんな日は来るのだろうか。


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2014年2月12日水曜日

タシケントから荷物を送る、の巻

私の留学期間が、間もなく終わろうとしている。
思えば2013年3月12日にウズベキスタンにやって来てから、もう少しで1年。

ウズに来た当初は、本や衣類等々、そこまで荷物は多くなかった。
ところが、1年も経つと案外荷物も増えるもので...
とりわけ着もしない夏服が思いのほか嵩張ってしまったので、別送することにした。

こちらが舞台となる「中央郵便局」

恥ずかしながら、ウズで葉書・便箋以外のものを送るのはこれが初めて。
葉書などを送るだけでも、眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな郵便局の窓口のおばさんには常にビクビクしていたというのに...
今度はそれよりも手間がかかる荷物を送るというのだから、タダではすまないに違いない。


不安で仕方がなかったので、かつて留学された先輩方に郵送の手順を聞いてみた。
彼ら曰く、「荷物は麻袋にぶち込まれ、蝋で封をされる」のだとか。
ちなみに、多くの人が郵便局で何らかのややこしい問題に巻き込まれ、大体送るのに3時間ほどかかっているらしい。


以下、歴代の先輩方から頂いたポイント。

・「ズボン」「くつした」のように細かく分類する。
・分類したものは、それぞれビニール袋などに詰めて分けておく。
 (封をする際に蝋を使うので、洋服に染みないようにするため)
・送るものはあらかじめロシア語でリスト化しておく。個数も書いておく。
・刺繍のもの(ウズ土産など)は送れない。
・手紙などは「信書」にあたるので、衣類などとは一緒に送れない。

持ち物
・送る荷物
・度胸
・ロシア語辞書
・パスポートとお金(1束程度)
・油性ペン (麻袋の上に直接送り主・受取人の住所と名前を記入するため)

ドキドキしながらも、まずは自宅で荷造り開始。

こんな具合に個別に分けていく

夏物の洋服や、小物などを綺麗に分類して袋に分けると結構な量になった。
大きめのボストンバッグにいっぱい。重さにして約8kgほど。
これらの個数と名称をロシア語で紙にメモをしておき、いざ郵便局へ。


まず、中央郵便局、入って突き当たりの「8番」窓口へ。
幸いこの日は大雪で、人は少なく。
並ぶことなく、窓口で「これを送りたいのですが...」とウズベク語で言ったところ、「アァッ?!」と大声で聞き返さて泣きそうになった。

ここでひるんではならぬ! ここでひるんではならぬ!

私は自分の心に言い聞かせて、もう一度、今度はロシア語で聞いてみた。
仕切りなおして、「これを日本に送りたいのですが...」と今度はロシア語で。
すると、送るものの確認などをされた。
どうやら局員のおばさんはロシア人だったようで、ウズベク語は解さないらしかった。


ここで、個別に分けていったのと、ロシア語でリストアップしていったのが功を奏す。
「これはタオル3枚、スカート4枚、ジャケット2着...」
のように、袋ごと説明をしながら渡すと、局員は特に厳しいチェックをすることなく、麻袋に袋ごと突っ込んでいくではないか!
あれよあれよという間に、我が荷物はこんな具合で麻袋に綺麗に収まったのだった。

いかにも「小包らしい小包」に変貌

そして、CN23の税関申告書などなど、3枚の小さな書類を渡された。
内容はすべてロシア語とフランス語。
送るものをロシア語で書き出し、送り主・受取人の名前や住所、商用ではない旨などを書き入れていく。
更に、ギュウギュウに詰められた麻袋にも、送り主・受取人の情報を油性ペンで書き入れる。


ここまでに35分。
思いのほか、3枚の書類が細かい上に内容がよくわからなかったので(ロシア語が)、時間が少々かかってしまった。
だが、3時間以上かかると言われていたのに、ここまでで35分なら上出来だ。


すべてを記入して窓口に持っていくと、「SALにする? 航空便にする?」と聞かれた。
何となく航空便のほうが信頼できそうなので、航空便にすることに。
局員が少しの間書類を記入していたので、何となく聞いてみた。


「航空便だと、大体どれくらいで日本に届く?」
「そうね、早くて2週間。遅ければ... まあ、神のみぞ知る、かしら」


何はともあれ、そんな会話が済むと、残すところは会計のみ。
合計89,000スム (麻袋代含む)
会計が済むと、あっさりと「これで終わりよ」と言われたのだった。


郵便局に入ってから、会計が済むまで45分。
人が少なかったのも幸いだったのだろう。思いのほかあっさりと済んで、拍子抜けしたのであった。


後日談。
結局2月4日に送った8kg麻袋は、8日後の2月12日に故郷・茨城に届いたのであった。
奇跡としか思えない速さ。

やればできるじゃん、ウズベキスタン!


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2014年2月7日金曜日

タシケントにやってきた冬将軍

2月に入ってすぐのこと。
タシケントは連日日中も零下10度までしか上がらず、雪の日々が続いた。


アミール・ティムール像もこの通り真っ白だ


ウズベキスタンも山間部は雪深いが、首都タシケントはそこまで雪も降らない。
今年の冬はたった数日で50cm近く積もったので、街中は阿鼻叫喚だった。
普段から大げさな物言いをする知人はいつになく慌てた顔でこう言った。
「100年に1度の大雪だ」

そんな馬鹿な、とは思いながらも、ニュースを読めば「20世紀以来の大雪」とある。
街中では確かに慣れない手つきで除雪する人々が目についた。
除雪車なんてものはないので、市のゴミ収集車やトラックを改造して除雪もしていた。


 ただのトラックに板を取り付けて除雪する風景

 市中心部「ブロードウェイ」には真っ白な雪が積もり、人影もなく。



夜には日本では中々経験できない零下20度まで下がることもあった。
よくテレビで実験される「濡れたタオルを振り回したら凍るか」という実験をしてみたくなる気温。
案の定凍った。カチコチになった。

濡れタオルは50回も振り回せばカチコチだ


天気予報によれば、寒い日々はあと1週間ほどで過ぎるという。
今のところ日中気温は0度を下回って、今日までに積もりに積もった雪はまだまだ解けきらない。
だが、来週には10度近くにはなるという。


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