2014年3月31日月曜日

ウズベキスタンでは警察官に要注意?

正義の警察官が敵になる――

そんな不当なことが日常的に起こる国,ウズベキスタン。


街中を歩く不慣れな観光客を狙い,パスポートを見せろと言い。
あらゆるイチャモンをつけ,言葉が分からず不安な観光客相手にワイロを要求する――


そんな汚職がまかり通っているのが,この国の警察官である。
もちろん全ての警察官が,こんな悪にまみれた最悪野郎というわけではない。
中には親切な人だってたくさんいる。
だが,残念ながら腐敗した警察官が多く存在するのも事実である。


街中でよく見かける光景。緑色の制服が警官だ。
この緑色の制服から,キュウリと呼ばれたりしている。


だが,実際には観光客自身が本当に問題を持っており,警察官がそれに気が付く,というパターンも少なくないようだ。
なので,ウズベキスタンに行く際には致命的なイチャモンを付けられないためにも以下のことに注意されたい。


パスポートは必ず携行する
これは法律で定められているので,絶対に守りたい。
ホテルに到着したら,すぐにレギストラーツィア(滞在登録)をしてもらい,すぐにパスポートを返してもらうこと。
外出する際には肌身離さずに携行しよう。


レギストラーツィア(滞在登録)は絶対にすること
ウズベキスタンに到着したら,72時間以内に必ず滞在登録をすること。
安宿ではやってくれないところもあるので,宿泊する前にレギストラーツィアをしてくれるか必ず確認すること。
地球の歩き方に載っているような,有名ホテルなら間違いない。
また,前日のレギストラーツィアがないと宿泊させてくれないホテルもあるので注意。


入国時・出国時の税関申告は正確に
ウズベキスタンに入国するとき,出国するときに「税関申告書」を記入する。
これは必ず正確に記入すること!
また,入国時に2枚書き,1枚は手元に戻してもらうこともお忘れなく。
とりわけ若い男性観光客が,出国時に抜き打ち検査(申告額と所持額が正しいかを見られる)をされることが多いようだ。
10ドル程度のズレなら問題ないようだが,何れにせよ出来るだけ正確な金額を記入したほうがよい。
また,出国時の申告額が入国時よりも増えているのも問題になる。
キャッシングのしすぎには注意が必要だ。


荷物検査には素直に応じること
メトロの入り口に,必ず警察官がいる。
荷物が大きかったり,明らかに観光客の場合は荷物を見せろと言われる確率が高い。
だが,ここでは素直に荷物を見せること。
自分から見せにいくくらいの低姿勢でいれば,適当に荷物をチェックするだけで終わる。
また,ここでパスポートの提示を求められることもあるので,その場合にもきちんと見せるべし。
(だからこそ常時携行とレギストラーツィアが必要なのである)


身なりにも注意
イスラーム過激派への警戒か,立派なひげを生やしていると街中で警官に止められることもあるらしい。
また,あまりにひどい身なりをしていたり,大きな荷物を持って街中を歩いていても警官に止められるだろう。
街歩きの際はサッパリとした身なりでいるとよい。



目立たないように過ごしていれば,基本的に警察官に何か言われることもない。
筆者は顔立ちも服装も現地人に近かったからか,ほとんど止められたことがなかった。
止められそうになったら,ウズベク語で馴れ馴れしく話しかけて,「じゃあ達者で!」と去るのがポイントだ。(ウズベク語が出来る人は試す価値あり)


だが,これはレアケースだという。
基本的に,単独で行動する限り,滞在中に1度は警察官に止められることを覚悟しておいたほうがよいだろう。
その際には基本的には素直に従い,それでもイチャモンをつけてくるようなら,すぐに日本大使館に相談すること。周囲に人がいれば電話を借りてでもすぐに連絡したほうがよい。



このように,悪いところにばかり触れてきたウズベキスタンの警察官だが,少しばかり同情もする。
彼らは凍てつくように寒い雨の日も雪の日も,50度を超える猛暑日も,外でじっと立って街を見ているのだ。
本当にキツイ仕事だろう。

それが,国民からは「あいつらは仕事をしない」や「いちいち難癖をつけてくる」と言われているのだから,何だか気の毒にも思えることがある。
だからこそ,こんな風にイチャモンもつけたくなるのだろうよ.....

ネットで見つけた笑顔の素敵な警察官。
このような良い警察官だって少なくない。

そんなことを思う,今日この頃のこと。
警察官の友人からメッセージが来たので,今日は警察官についての投稿をしたのだった。(前半で警察官について悪いことをたくさん書いてごめんなさい)


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2014年3月25日火曜日

タシケント美味いものMAP(2013-2014) リリース!

タシケントでの楽しみは何だっただろうか。

勉強,勉強,勉強....
いや,まさかそんなはずはない。
もちろん勉強は好きだったが,そればっかりでは息が詰まってしまう。


そんなわけで,私がタシケント生活中にハマっていたのは「美味いモノ巡り」だった。
1年間で,暇さえあればタシケント市内のあらゆるレストランに行っていた気がする。
歴代留学生の中でも一番市内の食事処に精通している自信がある。
ものすごくある。
遊ばなかった代わりに,私はたくさん食べた。


これまでに巡ったあらゆるレストランをGoogle Map上でまとめてみた。
こうして見てみると,結構な数のレストランに行っていたことに驚く。


なお,3月25日現在80店舗ほど,評価・解説付で掲載中。
今後さらに増やしていく予定である。


「タシケント美味いものMAP (2013-2014)」 はこちらから。



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2014年3月23日日曜日

ウズベキスタン生活事件簿 (1年間振り返り)

ウズベキスタンから帰国して,間もなく1ヶ月が経とうとしている。
惰性でこの1ヶ月を過ごしてきたが,これといった帰国の実感もなく日本での生活に適応しつつある今日この頃。

元から適応していたかと言われれば,答えに窮する。
だが,少なくともウズベク人留学生が来日直後に日本生活に戸惑いを覚える気持ちは何となく分かってしまうようになった。(これは成長と言えるのか...?)

何はともあれ,帰国して1ヶ月弱。
笑いあり涙あり驚きあり ― そんな当時の日記を読み返しながら,振り返ってみたい。

タシケント生活は,この写真のように「さわやか」なものではなかった.....


男子寮に入寮?!
私の名前は「-i」で終わっているために,到着するまで男子学生と間違われており,男子寮(!) の一室が宛がわれていた。
(なお,女性名は「-a」で終わるのが普通。Manzura,Samira,Tahminaなど)
女性寮は4人部屋しか残っておらず,私は結局その後も男子寮の1人部屋で暮らすことになった。
そのせいか男友達ばかりできて,女友達はほとんどできなかった... トホホ。
今思えば,本当に「ありえねえええ!」と叫びたい経験だ。


授業が始まらない
長期の留学生を受け入れるのは史上初だった,留学先の世界経済外交大学。
外国人学生対象の授業もなく,現地学生の「国語」の授業に混ざるも,何一つ理解できなかったので精神的に本当につらかった。
マンツーマンの授業を行ってもらうよう交渉するにも,当時私はロシア語もウズベク語も怪しく,本当に大変な思いをした。
その辺の英語ができる学生を捕まえ,通訳してもらいながら交渉すること1ヶ月。
ようやくウズベク語のマンツーマン授業を受けられるようになったのが4月のことだった。


ウズベク語が分からない
ウズベク語の授業が始まるも,先生はすべてウズベク語で話すので何も理解できず。
時々ロシア語を混ぜてくれるが,その単語も難しい。
何一つ分からないストレスからか,この頃から頭髪が怪しくなるように.....
(ちなみに1ヶ月過ぎたころから,少しずつ分かるようになった)


浴室でやけど
お湯の供給がしょっちゅう止まる春先のこと。
まだまだ冷えこむ日だったので,水でシャワーを浴びるのも躊躇われた。
そこで役に立ったのが「湯沸かし器」!
700mlのお湯を沸かして,少し冷ましてから少しずつ体を流すつもりだったか...
手が滑って一気にかけてしまった。しかもお湯は冷めておらず,ほぼ熱湯。
今度は一気に水をかけたが,冷たすぎて翌日には水ぶくれに苦しみながら,熱とも闘うことになった....
ウズ生活中のみなさん,湯沸かし器からそのままお湯を浴びるのは危ないのでおすすめしません。
私のように面倒くさがらず,バケツを使いましょう。


ウズベキスタンでロシア語を学ぶ日本人がドイツ語で歌う
大学の催し「ドイツ語の日」で,なぜか私が歌うことになった。
たまたま私が歌が得意だと知ったドイツ語の先生に誘われ,面白そうだと思って返事したのが事の発端。
ドイツ語で「野ばら」を歌った私は,当然メディアからも注目の的。
新聞では「ウズベキスタンでロシア語を学ぶ日本人がドイツ語で歌う」と,私は紹介されていた。
字面だけ見ると,何だかものすごいカオスのような気がしてならない。
ドイツ語で声を張り上げてシューベルトを歌う絵


市バスに乗ったつもりが,タシケント州
土地勘を掴むために,週末にタシケント市バスに乗って市内を旅することにした。
途中までは順調に市内をまわっていたのに,何度目かに乗り継いだバスで自体は急変。
少しずつ近づいてくる山,少しずつハッキリと見えてくる地平線...
気が付いたときには,タシケント市はおろか、タシケント州も出た場所にいた。
今のところ,人生で一番絶望を覚えた迷子だった。
1年間大変お世話になった,タシケント市バスは緑のメルセデス


ある日,寮のコンセントから盗聴器が...
ある日,自分の部屋(寮)のコンセントが不自然に浮いていることに気が付いた。
そのコンセントは入寮時から電気が通っておらず,使えないものだった。
その日は何となく気になったので,意を決して開けてみたところ....
緑色のランプが点滅している小型の機械があった。
友人に尋ねたところ,それは盗聴器だった。
腹が立ったので,盗聴器を取り除く前に大声で3時間くらいリサイタルしてやった。スッキリした。


携帯電話も盗聴されていた
通話を始める直前に,不自然なビープ音が鳴っているのに気が付いた。
日本人の友人に聞くと,これが内務省による盗聴だという。
ウズ在住の外国人の多くがこうして盗聴されているようで,私だけではないと思えばいくらか安心はできるが(そういう問題ではないかも)... それにしても,今思えば気味が悪い。
結局,帰国するまでずっと盗聴されたままだった。


1年間に8回テレビに出演する
ドイツ語で歌ってから巷のちょっとした有名人になった私は,留学期間はメディアへの露出も人並み以上にはあった。
ニュースでのインタビューを含めて,数えてみたら1年間に8回テレビに出演していた。
ニュースに出た。二重あごが気になる。


1年間で4度のバス事故に遭遇
タシケント市民は本当に運転が荒い。
指折りの運転の荒さと言われる茨城の10倍くらいは荒い。
それは一般車両だけでなく,市バスにも言えること。急ブレーキ急発進はお手の物。
そんな状況では,やはり事故が起こらないわけもなく。
普段から市バスに乗ることが多かった私だが,1年間で4度もバスの事故に巻き込まれた。
詳細はこの記事から。


豚肉を食べて食中毒でのたうち回る
友人宅でBBQパーティをしたときのこと。
この日の目玉は豚肉! 仮にもムスリムが多数を占めるウズでは,豚肉を食べる機会は少なく,ついついがっついて食べてしまった。
そのうちいくつかは満足に火が通っていなかったらしく.....
翌日から激しい下痢と嘔吐,熱に苦しんだ。一日の半分以上はトイレで過ごしたと思う。
結局1週間以上はこんな状態で,週後半はずっと絶食していた気がする。
今思い出しても涙が出る。


大学寮を追い出される
ある日のこと。突然寮の管理室に呼ばれて,1ヶ月以内に退去するように言われた。
何でも,モスクワから数十名のお客さんが来るので,部屋が必要とのことだった。
大学側は部屋やホテルの斡旋は一切しないとのこと。
今思い出しても,本当に腹が立つ。
こんなこともあるので,ウズに留学する際はなるべく寮ではなく,部屋を借りたほうがよいだろう。
管理室で預かられた私の鍵には「Японканики (日本人の鍵)」と書かれていた...


授業が受けられなくなる
2013年10月に法律が突然変わり,大学の先生たちは規定数以上の授業を持つことができなくなった。
私のウズベク語の授業は,先生が空きコマを使って教えてくださったのだが,この法律によってこれまでのようなマンツーマン授業ができなくなることに。
結局,秋学期以降は現地の学生に混ざって「国語」の授業を受けることになってしまった。



このように,書き出すとキリがない「事件簿」。
私のウズベク生活は,このようにありえないことに充ち溢れたものだった。
当時はいやになって,本当に一度日本に帰ってしまおうとしたこともあった。
だが,今思えばどれもこれもが「自分を強く」してくれたものだと思える。

ウズベク留学生活,とても充実したものだった。
精神的に強くなりたい方に,おすすめできます。


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2014年3月14日金曜日

ウズベキスタンから帰国して

遅ればせながら,筆者は2014年3月3日に日本に帰国しました。

ただいま日本,お久しぶり


未だに帰国の実感はないままだ。
タシケントを離れたのが2週間前,と文字にしてみてもやはり実感が湧く手前で去ってしまう。
市中心部を散歩した最後の日を,まるで昨日のことのようにも,大昔のことのようにも感じる。

それよりも,日本には何でもあるんだなという実感のほうが勝っている。
高速インターネット,冷凍食品,色とりどりの衣類(しかも安い),長持ちする電球.....

タシケントではただのカメラに成り下がっていたiPhoneは,日本で本来の力を発揮し。
街中は整然としていて,ごった返す車がカーチェイスすることもなく。
取り換えたばかりの電球が,不安定な電圧で翌日に切れることもない。

例を挙げるとキリがないが,モノが溢れる日本に「逆カルチャーショック」を受けてばかりだ。


それでも,なぜか物足りないと感じてしまうのはどうしてだろう。
実家に戻ってきたのが1週間前。
それから毎日,ふとした瞬間に虚無感というか,喪失感を覚えることが多い。


街に出ても,人や車の喧騒に呑まれることもなく。 (住まいが田舎なのでなおさら)
近所に買い物に行って,ついつい店主と長話することもなく。
バザールを冷やかしながら,熱い値切り交渉をすることもなく。
荒い運転のバスで,大好きな先生や友人たちがいる大学に行くこともなく。

脂の乗ったプロフが恋しい

355日のタシケント生活。
一度だけ,心が折れかけて本当に日本に帰ってしまおうかと思ったこともあった。
秩序のない街や人だかりに,嫌気が差したことだって幾度となくあった。
それでも思いとどまったのは,何だかんだ言ってタシケント生活が好きだったからだと,今更ながら言えそうだ。

街に出れば,必ず何か面白いことに遭遇する ― そんなワクワクが常にあったタシケント生活が,今となっては懐かしく,いとおしい。


 大好きだったサモサも恋しい。


日本に戻ってから,なぜか「何だか物足りない」と感じることばかりだ。
モノならいくらでもあるのに,心が満たされない。
可愛い洋服がたくさんあるのは嬉しいが,少々強引に売りつけてくる強気な姿勢はない。
美味しいご飯だって嬉しいが,あの病み付きになる脂でギトギトの食べ物はない。
お店だってたくさんあるが,馴れ馴れしく話しかけられる店員はいない。


ある種の「ホームシック」に罹った私が,完全に日本の社会に復帰するまでにはもう少しリハビリ期間が必要なようだ。


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2014年3月1日土曜日

Bahor Toshkentga keladi, Mizuki Toshkentdan ketadi (タシケントに春が来て、瑞希はタシケントから去る)

Ertaga men Yaponiyaga qaytib ketaman.
明日、私は日本に帰ります。

Toshkentga bahor kelayotgani haqida gapirsak ham, hali ham sovuq havo hukun surmoqda... vaqt qanday tez o'tkazdi, O'zbekistonga kelishimdan buyon bir yil bo'lmoqda. O'tgan yilning 12-martida Toshkentga kelganimda ham ob-havo shunaqa sovuq edi. Bir yil oldin, xuddi kechadek.
タシケントに春が来ているとは言いつつも、まだまだ寒い日が続いています。
時間とは何て速く過ぎていってしまうものでしょうか、私がウズベキスタンに来てから1年が経ちました。昨年3月12日、タシケントにやって来た時も天気はこんな風に寒かったことを覚えています。
1年前、まるで昨日のことみたい。


Toshkentda bo'lganim bu yilda, O'zbekistonda har xil jihatlarni ko'rganman va har xir odamlar bilan gaplashganman. Turli-turli shaharlarga ham safar qilganman, alvon mazali ovqatlarni ham juda paqqos tushirganman. Lekin, ayniqsa, eng yoqtirganim ovqat - Diplomatiya Universitetining talabalar oshxonasidagi go'sht somsa edi!
タシケントにいたこの1年、ウズベキスタンのあらゆるものを見て、あらゆる人たちとも話しました。
色々な街に出かけたり、本当に美味しい食べ物だってたくさん食べました。
でも、とくに私が一番美味しいと思う食べ物は、私が学んだ外交大学の学食のサモサです。


O'zbek tilini ham ancha-muncha o'qidim.
O'tgan yilning martida men faqat oson salomlarni xolos bilganman, lekin hozir men bu tilda shunday yoza olaman. O'zbek tili o'qituvchisim Suhsur opaning sharofati bilan, men o'zim o'zbekchada hozir yozyapti. Jonim bilan uni tashakkur aytshim kerak. Kuz-qishda, uning darsida mendan yoshroq talabalar bilan o'rgandim - bu juda yam mazmunli va qiziqarli yotiram edi.
ウズベク語もたくさん、それはもうたくさん学びました。
昨年3月、私は本当に簡単な挨拶しか知らなかったのですが、今ではこんな風に書くことができます。
ウズベク語を教えてくださったソフスル先生のおかげです。心から感謝したいです。
秋冬学期に彼女の授業で、私よりいくつも若い学生たちに混ざって学んだことは、実のある経験となりました。


Shunday, bu bir yilda oq-qorani taniganman.
O'zbekistonda ko'rganim hamma narsalar, hamma duchlar va hamma mojarolar menga yakkaku yagona. O'zbekiston - mening ikkinchi vatanim!
Men ertaga birinchi vatanimga qaytib kelaman, lekin men seni - O'zbekistonni juda sog'inyapman.
こんな風に、この1年間は世の白黒を見るような ― そんなあらゆる経験をしました。
ウズベキスタンで見たすべてのもの、すべての出会い、すべての出来事は私にとって唯一無二のものです。
ウズベキスタン ― 我が第二の故郷。そんな風に言い表すことができるでしょう。
私は明日にも第一の故郷に帰りますが、ウズベキスタンがとても恋しいです。


Hamma aziz do'stlarim, hurmatli o'qituvchilarim,
Chin dildan katta rahmat!
すべての親愛なる友人、尊敬する先生。
心から、ありがとうございました。