2014年3月23日日曜日

ウズベキスタン生活事件簿 (1年間振り返り)

ウズベキスタンから帰国して,間もなく1ヶ月が経とうとしている。
惰性でこの1ヶ月を過ごしてきたが,これといった帰国の実感もなく日本での生活に適応しつつある今日この頃。

元から適応していたかと言われれば,答えに窮する。
だが,少なくともウズベク人留学生が来日直後に日本生活に戸惑いを覚える気持ちは何となく分かってしまうようになった。(これは成長と言えるのか...?)

何はともあれ,帰国して1ヶ月弱。
笑いあり涙あり驚きあり ― そんな当時の日記を読み返しながら,振り返ってみたい。

タシケント生活は,この写真のように「さわやか」なものではなかった.....


男子寮に入寮?!
私の名前は「-i」で終わっているために,到着するまで男子学生と間違われており,男子寮(!) の一室が宛がわれていた。
(なお,女性名は「-a」で終わるのが普通。Manzura,Samira,Tahminaなど)
女性寮は4人部屋しか残っておらず,私は結局その後も男子寮の1人部屋で暮らすことになった。
そのせいか男友達ばかりできて,女友達はほとんどできなかった... トホホ。
今思えば,本当に「ありえねえええ!」と叫びたい経験だ。


授業が始まらない
長期の留学生を受け入れるのは史上初だった,留学先の世界経済外交大学。
外国人学生対象の授業もなく,現地学生の「国語」の授業に混ざるも,何一つ理解できなかったので精神的に本当につらかった。
マンツーマンの授業を行ってもらうよう交渉するにも,当時私はロシア語もウズベク語も怪しく,本当に大変な思いをした。
その辺の英語ができる学生を捕まえ,通訳してもらいながら交渉すること1ヶ月。
ようやくウズベク語のマンツーマン授業を受けられるようになったのが4月のことだった。


ウズベク語が分からない
ウズベク語の授業が始まるも,先生はすべてウズベク語で話すので何も理解できず。
時々ロシア語を混ぜてくれるが,その単語も難しい。
何一つ分からないストレスからか,この頃から頭髪が怪しくなるように.....
(ちなみに1ヶ月過ぎたころから,少しずつ分かるようになった)


浴室でやけど
お湯の供給がしょっちゅう止まる春先のこと。
まだまだ冷えこむ日だったので,水でシャワーを浴びるのも躊躇われた。
そこで役に立ったのが「湯沸かし器」!
700mlのお湯を沸かして,少し冷ましてから少しずつ体を流すつもりだったか...
手が滑って一気にかけてしまった。しかもお湯は冷めておらず,ほぼ熱湯。
今度は一気に水をかけたが,冷たすぎて翌日には水ぶくれに苦しみながら,熱とも闘うことになった....
ウズ生活中のみなさん,湯沸かし器からそのままお湯を浴びるのは危ないのでおすすめしません。
私のように面倒くさがらず,バケツを使いましょう。


ウズベキスタンでロシア語を学ぶ日本人がドイツ語で歌う
大学の催し「ドイツ語の日」で,なぜか私が歌うことになった。
たまたま私が歌が得意だと知ったドイツ語の先生に誘われ,面白そうだと思って返事したのが事の発端。
ドイツ語で「野ばら」を歌った私は,当然メディアからも注目の的。
新聞では「ウズベキスタンでロシア語を学ぶ日本人がドイツ語で歌う」と,私は紹介されていた。
字面だけ見ると,何だかものすごいカオスのような気がしてならない。
ドイツ語で声を張り上げてシューベルトを歌う絵


市バスに乗ったつもりが,タシケント州
土地勘を掴むために,週末にタシケント市バスに乗って市内を旅することにした。
途中までは順調に市内をまわっていたのに,何度目かに乗り継いだバスで自体は急変。
少しずつ近づいてくる山,少しずつハッキリと見えてくる地平線...
気が付いたときには,タシケント市はおろか、タシケント州も出た場所にいた。
今のところ,人生で一番絶望を覚えた迷子だった。
1年間大変お世話になった,タシケント市バスは緑のメルセデス


ある日,寮のコンセントから盗聴器が...
ある日,自分の部屋(寮)のコンセントが不自然に浮いていることに気が付いた。
そのコンセントは入寮時から電気が通っておらず,使えないものだった。
その日は何となく気になったので,意を決して開けてみたところ....
緑色のランプが点滅している小型の機械があった。
友人に尋ねたところ,それは盗聴器だった。
腹が立ったので,盗聴器を取り除く前に大声で3時間くらいリサイタルしてやった。スッキリした。


携帯電話も盗聴されていた
通話を始める直前に,不自然なビープ音が鳴っているのに気が付いた。
日本人の友人に聞くと,これが内務省による盗聴だという。
ウズ在住の外国人の多くがこうして盗聴されているようで,私だけではないと思えばいくらか安心はできるが(そういう問題ではないかも)... それにしても,今思えば気味が悪い。
結局,帰国するまでずっと盗聴されたままだった。


1年間に8回テレビに出演する
ドイツ語で歌ってから巷のちょっとした有名人になった私は,留学期間はメディアへの露出も人並み以上にはあった。
ニュースでのインタビューを含めて,数えてみたら1年間に8回テレビに出演していた。
ニュースに出た。二重あごが気になる。


1年間で4度のバス事故に遭遇
タシケント市民は本当に運転が荒い。
指折りの運転の荒さと言われる茨城の10倍くらいは荒い。
それは一般車両だけでなく,市バスにも言えること。急ブレーキ急発進はお手の物。
そんな状況では,やはり事故が起こらないわけもなく。
普段から市バスに乗ることが多かった私だが,1年間で4度もバスの事故に巻き込まれた。
詳細はこの記事から。


豚肉を食べて食中毒でのたうち回る
友人宅でBBQパーティをしたときのこと。
この日の目玉は豚肉! 仮にもムスリムが多数を占めるウズでは,豚肉を食べる機会は少なく,ついついがっついて食べてしまった。
そのうちいくつかは満足に火が通っていなかったらしく.....
翌日から激しい下痢と嘔吐,熱に苦しんだ。一日の半分以上はトイレで過ごしたと思う。
結局1週間以上はこんな状態で,週後半はずっと絶食していた気がする。
今思い出しても涙が出る。


大学寮を追い出される
ある日のこと。突然寮の管理室に呼ばれて,1ヶ月以内に退去するように言われた。
何でも,モスクワから数十名のお客さんが来るので,部屋が必要とのことだった。
大学側は部屋やホテルの斡旋は一切しないとのこと。
今思い出しても,本当に腹が立つ。
こんなこともあるので,ウズに留学する際はなるべく寮ではなく,部屋を借りたほうがよいだろう。
管理室で預かられた私の鍵には「Японканики (日本人の鍵)」と書かれていた...


授業が受けられなくなる
2013年10月に法律が突然変わり,大学の先生たちは規定数以上の授業を持つことができなくなった。
私のウズベク語の授業は,先生が空きコマを使って教えてくださったのだが,この法律によってこれまでのようなマンツーマン授業ができなくなることに。
結局,秋学期以降は現地の学生に混ざって「国語」の授業を受けることになってしまった。



このように,書き出すとキリがない「事件簿」。
私のウズベク生活は,このようにありえないことに充ち溢れたものだった。
当時はいやになって,本当に一度日本に帰ってしまおうとしたこともあった。
だが,今思えばどれもこれもが「自分を強く」してくれたものだと思える。

ウズベク留学生活,とても充実したものだった。
精神的に強くなりたい方に,おすすめできます。


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