2015年5月11日月曜日

【番外編】ドゥシャンベの中心で、愛を叫ぶ?

「ドゥシャンベで国際会議をやるのだけど行かないか——」


指導教員からそんな打診を受けたのは3月に入って少し経った頃だった。
電話口で一言「喜んで」と答えてしまったのはいいものの、電話が切れてから渡航まで2週間もないことに気が付いたのは後の祭り。


タジキスタンはウズベキスタンの東南に位置する世界有数の山岳国家。
国土の93%が山で、「世界の屋根」とも呼ばれるパミール山脈を国の東側に抱える。
最高峰は7,724mの高さを誇るイスマイル・ソモニ峰。

パミール山脈の最高峰、イスマイル・ソモニ峰
ソ連時代はスターリンにちなんでスターリン峰と名付けられたり、
コミュニズム峰と名付けられたことも。


ウズベキスタン同様に多種多様な民族が住まうこの国だが、とりわけパミールのユニークな民族形成が有名だ。東にインド・中国・アフガニスタン、西にイランをはじめとする中東諸国と接するこの国は、歴史的にあらゆる民族が交わる場所であった。

入り組んだ山間部はそうした民族や文明の侵入や支配から逃れた人々が隠れるのにも最適な場所で、現在も「パミール人」と総称される、パミール諸語を話す人々が独自の言語や文化を守りながら暮らしている。


西から北はウズベキスタン、北にクルグズ、南にアフガニスタン、東に中国・・
有名どころに取り囲まれて、板挟みになっているのがタジキスタン。


ドゥシャンベ滞在時間は3月16日から19日。
実際に日本を発つのは3月15日、イスタンブール経由で、待ち時間を含めると実に片道20時間を超える長距離・長時間フライトを経ての入国となる。
私自身は20代でありながら、長らくひどい腰痛・肩こりに悩まされてきたので、フライト中にも腰痛にやられて身動きが取れなくなりかけたのは、今でも笑い話にならない。



今回は私が所属する筑波大学と協定校のロシア・タジク・スラヴ大学(Российско-Таджикский Славянский Университет, РТСУ、以下スラヴ大学)との間で国際会議「文明のクロスロード」を行うこととなり、私は同時に行われることとなった学生交流を担当することとなった。

とはいえ、筑波大学から派遣されるのは私を含めて4名。
つまり学生はわたし1人なので、この話を聞いたときにはため息と同時に、どうなることやら・・・(まあいつものことだけれど)と思うのであった。


成田からイスタンブールまで13時間かけて来たかと思えば、
5時間かけて来た道を東に半分戻る・・・

さて、成田からトルコ航空に乗ってイスタンブールまで13時間
無料wi-fiも座る場所もないアタテュルク国際空港で待つこと4時間、更にそこから東に5時間戻ってようやくドゥシャンベに到着する。(東京からドゥシャンベまで22時間・・・)


ドゥシャンベに着いたのは3月16日、朝の4時半のことだった。
着陸直前に入国審査のことで頭がいっぱいになって、着陸してから空港に移動したときのことはよく覚えていない。
ウズ長期滞在経験者にとって、最も緊張するのは出入国の瞬間だ。
試されている、としか思えない洗礼の瞬間を今回も迎えることになるのだろう・・と緊張したのだが、何と着陸後に個別に呼び止められ、VIPラウンジに通されたのだった。


どうやらスラヴ大学の先生方の取り計らいだったようだ。
先生方がラウンジまで迎えにきてくださり、温かいお茶で歓待を受けながら入国カードを書くことになった。
お茶を口にした瞬間、ああ私は中央アジアに帰ってきたんだ!と実感すると同時に、人生初のVIPラウンジ体験を愉しむのであった。

夜明け前のドゥシャンベ空港に、煌煌と浮かび上がるДушанбе (ドゥシャンベ)の文字。
どうやら本当に来てしまったらしい。実に長旅だった。

難なく手続きが終わり、物足りなさを覚えながらも空港から出ると、山からの吹き下ろしが体温を舐めるように奪っていく。
だが、ここはナウルーズも間近に迫る中央アジア。
日中にはじりじりと肌を焦がすような陽光が照って、気温は25度前後まで上がった。(だが乾燥しているので暑くは感じない)


到着は早朝、まだ外も暗い時間だったので、この日は仮眠をとってから昼過ぎに大学訪問をすることとなった。
スラヴ大学の校門をくぐるなり、学生たちが国旗カラーのスカーフを首に出迎えてくれた。
そして何よりもインパクトがあったのは・・・・・・これだ

校門をくぐってすぐのところに展示されているのは、
タジキスタン・ラフモン大統領とロシア・プーチン大統領のツーショット

ロシア政府の出資によって建学されたこの大学には、大学名に「ロシア」が入っているのはもちろんだが、学内にはロシアの国旗はもちろん、プーチン大統領だってこんなに目立つ形で飾られて(祀られて?)いる。


そのほか、ロシア語教育にも力を入れているようで、Фонд Русский Мир (ロシア政府系のロシア語・ロシア文化教育を促進する財団)のタジキスタン支部も学内にあるくらいだ。

大学図書館にはフォンド提供のロシア語の書籍も数多く取り揃えられていたが、担当の先生はこう嘆く。曰く「見てください、本はこんなにも綺麗なままです。学生たちは全く本を読もうとしないのです」

図書館の閲覧室はこのように中々清潔で綺麗だ。
けれども放課後も利用者は少ない。

確かに放課後の時間なのに図書館には学生が一人もおらず、閑古鳥が鳴いていた。
本はいずれも比較的新しいものが多く、まるで新品そのもの。
けれども学生たちのロシア語力が低いかと言われれば、決してそんなことはない。

確かに本はいずれも綺麗で、読み潰された痕跡はない。
本のバリエーションは意外にも豊富で、往年の名文学から近現代のモダンな文学作品などなど。
英・仏文学の有名どころのロシア語版などもいくつか置かれていた。


タジキスタンもかつて、他の旧ソ連諸国と同様にロシア系住民を多く抱える国であった。
しかし、独立後から90年代後半まで続いたタジキスタン内戦により、国民全体の8%程度を占めたロシア人は国外に避難し、1%台まで落ち込むこととなる。
こうしてロシア語話者を短期間で大量に失ったタジキスタンは、一時期ロシア語が聞こえなくなったと言われた。しかし近年はロシア語をはじめとした言語教育に力を入れ始めたようで、確かに若い世代を中心に流暢なロシア語を話す。

公園でたまたま出会ったタジクの女の子たち(10代)とは、ロシア語で問題なく意思疎通がはかれた。
記念に一枚!


その後もスラヴ大学の先生方による、心からのおもてなしは続く。
初日の午後は副学長のひとりが自家用車を自ら運転して、ドゥシャンベの街を案内してくださった。
ドゥシャンベの街はとてもコンパクトで清潔で、かつて私が暮らした大好きな街・タシケントを彷彿とさせるこの街の雰囲気が心地よくて、何だか心が躍る。
タシケントがお気に召したそこのあなたは、ぜひドゥシャンベにも寄ってみてはいかがだろう。きっと気に入るだろう。


けれども、タシケントとは決定的に異なるのは色々なものが「巨大」であることだ。
例えば世界最大の図書館があったり、世界最大の国旗もあったり・・・

副学長曰く、どうやら大統領は世界で一番大きなものシリーズがお好みらしい。
世界最大の図書館、国旗、と来たら、次は何がつくられるのだろう。乞うご期待?


高さ165m、旗は30m x 60m、旗の重さは700kgだそうだ。
その高さたるや、見上げると首が落ちそうになるほど。

ドゥシャンベはまだまだ高層ビルが少なく、どこからでもこの巨大な国旗が見えるので、方角を知るのに便利であった。(本来と用途が違う!というツッコミは無用)
目抜き通りはよく整備されていて、空気も山があるからか心なしか新鮮だ。


シャシリクを焼くお兄さんたちも、写真撮っていい?と聞くと、
焼いてるところをカッコ良く撮ってくれよ!と快く応じてくれた。

タシケント同様にドゥシャンベの人々は朗らかで人懐こい。タシケントで一年間暮らした身としては、ドゥシャンベの人々はまったりとしていて、スレていないように思えた。
一旦知り合えばとても良くしてくれて、彼らの底知れぬホスピタリティには感銘を受けることとなるだろう。


ドゥシャンベを心底気に入って、とても大切な友人もできた。
今回の投稿では楽しいドゥシャンベをお伝えするとともに、
ドゥシャンベと友人たちに、「ドゥシャンベの中心へ、愛を叫ぶ」ことにした。勝手にね。


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2015年5月8日金曜日

【番外編】タタール語オリンピック参加記

ご無沙汰しておりました、執筆者の中村瑞希です。
前回の更新から2ヶ月間の沈黙を破って、ようやく更新を再開します。

というのもこの2ヶ月の間、来日したトルクメニスタン・ベルディムハメドフ大統領に花束を渡すことになったり、急遽このブログの主題でもあるウズベキスタンの隣国・タジキスタンへ出張することになったり、引っ越したり、タジキスタンから帰国したその日にロシアはタタールスタン共和国・カザンに行くことが決まったり・・・何だか色々なことが一気に起こったので更新ができずにいました。
(心配のメールをくださった読者の皆さん、ありがとうございました。元気です!)

こんなところに行ってきました。タタールスタン共和国の首都カザンです。
カザンの中心で、愛を叫ぶ


というわけで、せっかくなのでこの2ヶ月の間に経験したことを番外編としてブログで取り上げたい。今回はタタールスタンについて書くことにしよう。

ちなみに、筆者である私はウズベキスタンに暮らすタタール人の言語状況について長らく調査してきた。(そのための留学だった)


ところで、タタールスタンってどこ?
そんな疑問を持つ方もきっと多いはず。
タタールスタン共和国はロシアの首都・モスクワから800kmほどの場所に位置する、ロシア国内にある共和国。共和国といっても、ロシア連邦の中にある共和国で日本でいうところの自治体のような感覚である。


ちなみにタタールスタンの首都カザンにある名門大学・カザン連邦大学ではかつて、
レーニンも学んだことがある。(しかし卒業はせず、中退)


このタタールスタンは「タタール人」と呼ばれる、多民族国家・ロシアに居住するロシア人以外の民族集団としては最も大きな民族を抱える地域だ。つまり、ロシアで最も大きなマイノリティ(少数民族)集団であるとも言える。
タタール人の多くはイスラーム教スンニ派を信仰するが、正教徒も少なくない。
民族的にはテュルク系であり、テュルク諸語の中でもキプチャク語群に属すタタール語を話す。

・・・が、やはりロシア連邦内に暮らしているタタール人はロシア語を得意とする人のほうが多く、タタール語話者の一部は近年タタール語の危機的状況を何とかしようと、あらゆる運動を積極的に行っている。


街中ではどこでもロシア語が話され、カザンではタタール語が通じない場所も多い。
そのため、タタール語が話せる店員がいる店には、このような「タタール語を話します (мин татарча сөйләшәм)」ステッカーが貼られている。


このタタール人はタタールスタンのみならず、ウズベキスタンを含んだ中央アジアからロシアのシベリア地域まで広く居住し、ディアスポラの民と呼ばれることも多い。

日本ではあまり知られていないが、ロシア革命以降はハルピンを経由して日本に亡命してきたタタールも数知れず。(多くはその後、オーストラリアやアメリカに再亡命したので、現在も日本に暮らすタタールはそう多くはない)



このように世界中に散らばるタタール人によって話されるのがタタール語である。
最も大きな話者数を抱えるのはロシア、とりわけタタールスタンやその周辺の地域だ。
クリミアでもクリミア・タタール語が話されるが、これはカザンのタタール語とは異なるもので、系統の異なる別言語である。よりトルコ語に近い。
また、シベリアにもシベリア・タタール人と呼ばれる集団が暮らしているが、彼らのことば(シベリア・タタール語)も独立した言語であるか論争がなされている。

現在ロシア国内のタタール語表記に使われるタタール語のキリル文字一覧
1939年導入。


旧ソ連圏外のタタール人によって広く使われるタタール語。
人によって使用する文字に揺れが大きく、これはあくまで一例だ。
この表は2001年にタタールスタンがタタール語表記をラテン文字に切り替えようとした際に提唱したもの。結局ロシア国内の言語はすべてキリル文字で表記されて然るべし、というモスクワの決定によって実現しなかった。


そのほかにトルコや中国といったタタール人コミュニティを抱える国々でも広く話されるが、特徴は「文字」にある。
ロシアを含めた旧ソ連で話されるタタール語は、ロシア語と同じ文字にいくつかの改良文字を加えたキリル文字を用いる。だが、例えばトルコや欧米ではラテン文字で書かれることが多い。
諸説あるが9世紀頃から長らくタタール語の表記に使われてきた改良アラビア文字。
1920年代まで広く使われてきたが、現在は世界中でも一部のタタール人が使うのみとなった。


中国ではより古いスタイルであるアラビア文字で書かれると言われるが、実は人によって異なるらしく、キリル文字で書く人もいれば、音を当てはめた漢字で書く人もいて、バリエーションは様々なようだ。(今大会で仲良くなった新疆からの参加者は表音漢字でタタール語を書いていたので衝撃を受けた)



カザン中心部にあるクルシャリフ・モスクはタタールスタンのシンボルのひとつで、
ヨーロッパ最大級のモスク。タタールスタンの人々の誇りでもある。
(T.Rakhmattulin撮影、2009年、カザン)


それにしても、これまたどうしてタタールスタンへ?
そう思われる方も多いかもしれない。私自身も実際に「タタールスタンってどこ?」という決まりきった質問の次には、必ずこう聞かれるのが一種の決まり事のようになってきた今日この頃である。


2015年4月20日から23日にわたってタタールスタンの首都・カザンで開かれた「第3回国際タタール語・タタール文化オリンピック」なるものに参加するためである。
このイベントはタタールスタン教育省とカザン連邦大学がタタール語・タタール文化の保持のために3年前から行われているもの。

そう、全世界のタタール語を話す若者たちがカザンに集う、何ともアツいとしか言えない大会に出場してきたのだ。今大会は日本からの参加者は私だけ。
(※なお、前年度大会の優勝者は日本人。私の友人でもあり、恐らくは現在日本人の中で最もタタール語ができる強者)


今大会、海外からの参加者は10カ国から17人。うち9人はカザフスタンと存在感があった。
そのほかアゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルコ、フィンランド、カナダ、ベルギー、中国、そして日本から1人ずつ。私以外は全員在外タタール人だった。


2014年12月にインターネット上で開催されたネット選考でそれなりの成績を修めた参加希望者や、あるいは大会主催者側から声がかかった数人の人などが今大会に出場した。
なお、ネット選考は10,000人以上が受験し、うち本選となる今大会に出場したのは500人程度とのことなので、意外にも狭き門である。
ネット選考への参加者は年々増加をたどり、今後は更に狭き門となると思われるので、もしタタール語オリンピックに出たい!と思うのであれば、早いほうがよさそうだ。


ただし、それぞれ「タタール語学校の学生」「ロシア語学校の学生」「タタールスタン共和国外・ロシア連邦内の学生」など細かく出場カテゴリーが分けられており、もちろん「ロシア国外の生徒・学生」というカテゴリーもある。


今回私は「ロシア国外の生徒・学生」カテゴリーでエントリーした。
このカテゴリーではネット選考受験者が50-60人程度おり、うち本選に出場する権利を与えられたのが17人だった。
基本的に成績順に出場権利を与えられたが、カザフスタンからのエントリーが全体の7割を占めていたためか、彼らより若干成績が悪くても参加資格を与えられた人もいた。ちなみにそれは私のことだけれど。

ちなみに、今大会では上位35名程度が何らかの賞をもらったのだが・・・
ありがたいことに、私自身も入賞をいただくことができた。


なお、大会期間中の予定はギッシリで自由時間はほとんどなかった。
ただ、私がカザン入りしたのは大会開会日の前日の夜だったため、翌朝一番に受付を済ませたのち、数時間だけは自由時間があった。市中心部に出て本屋に行ったり、土産物を買うことはできた。


2015420
11:00 - 12:30 参加者到着・受付
12:30 - 13:30
 昼食
13:30 - 18:00
 参加者到着・受付
17:30 - 18:30
 夕食
19:00 - 20:30
 タタール語オリンピック開会式
20:30
     休息
2015421
07:00 - 08:00 朝食
09:00 - 13:00
 タタール語・文学に関する筆記・口述試験
13:30 - 14:30
 昼食
15:00 - 17:00
 「タタール語を話します」運動
17:30 - 18:30
 夕食
19:00 - 21:30
 「学生の春 2015」鑑賞 (大学生による劇の鑑賞)
21:30
     休息
2015422
07:30 - 08:30 朝食
09:00 - 13:00
 プレゼン課題の発表「我が民族・故郷・そして私」
13:30 - 14:30
 昼食
15:00 - 16:30
 若い世代のタタール語啓蒙活動家とのラウンドテーブル
17:00 - 18:00
 夕食
18:00 - 18:30
 ティンチューリン国立喜劇劇場への移動
19:00 - 21:30
 劇の鑑賞
21:30 - 22:00
 宿泊施設への移動時間
22:30
     休息
2015423
06:45 - 07:45 朝食
08:00 - 11:00
 市内観光・カザン・クレムリン (入賞者は閉会式リハーサル)
11:00 - 11:30
 宿泊施設への移動時間
11:30 - 12:30
 昼食
12:30 - 13:00
 ムサ・ジャリル国立オペラ・バレエ劇場への移動
14:00 - 16:00
 閉会式 (ミンニハノフ大統領も列席)
16:00 - 16:30
 宿泊施設への移動時間
17:00 - 18:00
 夕食
18:30
     解散

このように、自由時間はほとんどないので、カザン市内を自由に観光することはできない。ただ、一方で普通とは違う濃密なカザン滞在になることは間違いない。

なお、タタール語オリンピックはこれまで3回開催され、うち参加した日本人は私を含めて合計2名。もしかすると次大会以降も日本から参加する人がいるかも・・・と淡い期待を抱きつつ、そんな人たちの参考になることを願い、この大会での気づきや注意点をまとめておきたい。


・ネット選考に関して
毎年12月頃にはネット選考の受付と受験ができる。
問題文の表記はキリル文字かラテン文字のどちらかを選択することができる。試験は1時間以内に30問の問題(20問は選択、10問は入力形式)に回答する必要があるが、正直言って分からない問題があったらネットで即座に検索することはできる。(例えば詩の穴埋めなど)
なお、実際にネット選考で出題された問題はこちら。参考までに。



・大会の参加の決定に関して
1月末にネット選考で正答率の高い参加者は参加決定の通知がタタールスタン教育省より届く。が、しかし!大会ひと月前に突然大会への参加打診がメールで届いたりもする。
私の場合は得点率が75%、ある参加者は60%ほど、ある人はそもそも試験を受けていないなど、とにかく基準は不明だが、少なくとも6割程度の得点はほしいところ。
日本からの参加者はある意味で「国際オリンピック」を名乗るという点でも重宝されるらしく、数人受けても少なくとも一人はこのような裏ルートで参加することができるかもしれない。

なお、今大会は前大会に比べてもハイレベルで満点が続出だったので、来年以降は問題のレベルが上がる可能性も。

なお、今大会からはネット選考を受験するとこのような証明書を発行してくれるようになった。



・交通費や宿泊費
航空券や宿泊施設に関しては全てタタールスタン教育省が面倒を見てくれるので、心配無用。航空券に関しては直接教育省の担当者とメールでやり取りをしながら決定することとなる。
実際に私が宿泊した部屋。2013年にカザンで行われたユニバーシアード選手村を宿泊施設として使っていた。現在はカザン大学の学生寮でもある。
4人1部屋で、同室にはカナダ・トルコ・ウズベキスタンからの参加者がいた。共通言語はタタール語。



・先方とのやりとり
基本的に直接教育省の担当者とメールでやり取りすることになるが、こちらは全てタタール語。しかしキリル文字のタタール語でしか返事はしてくれないので、要注意。(ラテン文字だと返事もしてくれない)
一方で、大会公式の連絡先にタタール語でメールをすると、ロシア語で質問をするように、とロシア語で返信がくる。タタール語オリンピックと言いながら、実情は…… という部分も見え隠れするのがこのメール。



・参加者について
ロシア国内の参加者については割愛するとして、全体の参加者人数は500名程度。ネット選考は10000人以上が受験しているので、中々狭き門。うちロシア国外からは9カ国17人おり、内訳はカザフスタンから9名、アゼルバイジャン1名、トルコ1名、フィンランド1名、カナダ1名、ウズベキスタン1名、ベルギー1名、中国1名、日本1名。私以外は全員がタタール語を日常的に使う在外タタール人だった。
ネット選考では外国からは70名ほどの受験があったそうだが、うち17名が出場できるので確率は高め。
海外参加者組と一緒に。朝早かったのでみんなテンションがぶっ飛んでいた。
ロシア国内のタタールはもちろん、世界中のタタールと知り合えるのもこの大会の魅力。



・本選(口述試験)に関して
本選は作文・口述試験あり。グループごとに部屋に分けられ、試験官がランダムに参加者に問題を配り、その場で20分ほど考えて作文し、それをもとに口述発表をする形式。書いたものも提出することで採点の対象となる。これはキリル文字で書く必要がある。
口述試験の手順は大まかに自己紹介が3-5分、回答2-3分、それから回答に対する質問が3人の試験官によってなされる。辞書持ち込み不可。事前に用意した自作の小さなメモなどは持ち込み可。

前大会では、口述試験の問題もラテン文字とキリル文字併記だったそうだが、今大会の問題用紙はキリル文字表記のみだった。
キリル文字が分からない参加者がひとりいたが、彼女は問題だけ読み上げてもらい、書いたものは提出しなかったそう。(減点があったかどうかは不明)

なお、筆記・口述試験で出題された問題の一部は覚えている限り以下の通り。
私は比較的答えやすい問題で、一番上のものだった。ラッキーだった。

・あなたの故郷について、遠方からきた友人を招待したつもりで、遺跡や歴史についても紹介してください。

・アク・バルス(タタール人のシンボル的動物、雪豹)について紹介したのち、アク・バルスについてどう思うか述べてください。

・タタールスタンについてどう思いますか。また最近若い世代がタタール語復興運動をしていますが、これについてどう思いますか。


・あなたのタタール人としての誇りは何ですか。また、タタール語で最も美しいと思う詩を吟じ、解釈を述べてください。



・ロシア語に関して
基本的に外国から来ている参加者もほぼ全員がロシア語が分かる人たちであるため、タタール語オリンピックなのに大切な連絡などはロシア語で伝えられたり、書かれていたりする。
なお、大会前にメールで届いた大会概要やプレゼン課題に関する案内、ビザのために必要な提出書類もすべてロシア語だった。ロシア語が分からない場合はロシア語の分かる人に頼る必要がありそうだ。
また、大会中は基本的にタタール語だけでも大丈夫だが、一部のイベントは思いっきり全部ロシア語だったりするため、ロシア語が少しでも分かった方が全力で楽しめる。

ロシア語が話せると、たくさんインタビューを受ける。
私自身は合計15回のインタビューを受けたが、そのうち10回くらいはロシア語のインタビューだった。



・課題に関して
本選出場者には課題が課され、今大会は自分の出自や国について5分以内でプレゼンをするのが課題だった。スタイルに関しては自由で、実際にパワーポイントを使う人もいれば、写真やビデオを見せる人もいた。
前大会は同じようなテーマで、ビデオプレゼン限定だったそうだ。この課題に関しては本選出場が決まった段階で案内があるが、ロシア語で案内されるので注意が必要。



私はパワーポイントで用意したが、会場のPCと互換性がなかったため、
この印刷版を見せながら発表することとなった。印刷していってよかった!



・インタビューなどについて
まず、日本人というだけで相当数のインタビューを覚悟しておかなくてはならない。インタビューだけでなく、参加者たちからの質問攻めと、写真を撮ってくれ!という依頼も凄まじい数となる。
つまり、メディアへの露出が激しくなるので、浴衣を着ていくなり、身だしなみをかなり整えていくと良い。また、「どうしてタタール語を勉強しているのか」「今大会にどうして出場しようと思ったのか、どう知ったのか」などの質問には簡潔に答えられるよう、構えておいたほうがよいだろう。
ちなみに私の場合はインタビューを15回、写真撮影は100回ほどだった。


これはロシア国営チャンネル1 に取材を受けたときのもの。
よく見てみると名前が間違っているのがポイント。
ロシア語の名刺はもちろん持っていくべきだった。



・まとめ
色々とまとめてみると、やはり語彙力はもちろん(本選では作文があるので)、話す能力がかなり重要になってくる。また、今大会ではキリル文字のタタール語での作文もあったため、ある程度キリル文字にも慣れ親しんでおいたほうが賢明かもしれない。(不利にならないためにはどちらも慣れておくとよさそうだ)
また、とにかくたくさん話すと世界中に友だちができるのもこの大会の醍醐味。ネット選考に向けて語彙力を高めるのはもちろんのこと、会話力も同時に磨いておくと本選はさらに楽しくなるだろう。


ちなみに入賞者に与えられた賞品はSONY社製のグレードの高いデジタルカメラ。
もう少し上の賞だとタブレット端末や、優勝者だとiPadだった。


大会は全体的によくオーガナイズがされていたし、新しくできた友人たちと過ごす毎日はとても刺激的だった。もっとタタール語が話せるようになりたい・・と、こうも心から思ったことはなかったかもしれない。
私以外の参加者は全員タタール人だったので、もちろん参加者の中では私のタタール語は稚拙なものだったはずだ。入賞なんて立派なものには到底ふさわしくない実力だったかもしれない。

けれども、この賞は私のタタール語能力だけでなく、きっと今後のタタール語学習の継続と、タタール語を日本でも盛り上げていってほしい、そんなことを願って与えられたものなのだろう、と勝手に解釈している。
今後ともにタタール語学習を続けていくとともに、将来的にはウズベク語はもちろんのこと、タタール語もどんどん紹介していきたいところ。



なお、ありがたいことに大会期間中はたくさん取材を受けたので、いくつかの記事や動画を紹介したい。

【動画】
Казань Телерадиокомпания:カザン放送 (ロシア語)

【ニュース】
筑波大学公式ホームページ (日本語、ちゃっかり記事を書いてもらいました)
Казань inform:カザン・インフォーム (ロシア語、オリンピックに関する記事)
世界タタール会議公式ホームページ (タタール語、受賞者一覧)
Татар информ:タタール・インフォルム (ロシア語、閉会式のようすに関して)
Татарлар.info:Tatarlar.info (ロシア語、記事中に私のコメントあり)
События:サビーチヤ (ロシア語、記事冒頭部は私に関して)
Интертат.ру:Intertat.ru (ラテン文字タタール語、記事中に私に関する記述あり)



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